山が動く日

こんばんは!

フリーダムダンサーのCobAです。

タイトルにあるように、山は動きますよね( ^ω^ )

何億年とかけて、地殻変動は今もゆっくりと動いています。

今日がその日じゃないだけで、明日がその日かもしれない。

Xデーはいつの時代も急にやってきます。

しかしながら、簡単に”動く”訳ではない事は承知の通りです。

動くのは一瞬で、その何倍もの期間を動き続けた事が奇跡なのです。

違う話で、”氷山の一角”という言葉があります。

水面から見えている氷はちょっとだけで、水中にはその何倍もの氷が見えずに存在している。といったところでしょうか?

そうなんです。

私たちが見えている世界は、氷山の一角であり、山が動くまでの期間を把握するのは不可能に近いのです。

ストリートダンスは氷山が動く一角??

「ストリートダンスって、どこから来ているの?」

「発祥の経緯はどうなってんの?」

「ストリートカルチャーの定義って何?」

こんな事を思ったことはないですか?

それを知りたくなった時点で、既にストリートカルチャーの一員だと感じます。

答えは、「わかりません。」

もちろん、上記やそれ以外のことは人並み以上に理解していますし、実際に経験済みです。

その中で、敢えて答えるならこの類の質問に対して、ピンポイントで答えられる人は、この世界にわずか数人しかいないのではないかと推測します。

そう、実際にそれが目の前でスタートした人だけが答えられる権利なのです。

さらには、そんな人達でさえ後進のビッグウェーブに飲み込まれてしまう場合もあります。

ここまで言えば、分かっている人の頷きが聞こえてきそうですね。

噂レベルで100年以上存在してきた証が、今自分の前にあるストリートダンスなんだと、感じる今日この頃です。

CobAが見てきたもの

自分が始めた2002年は、ストリートダンスを特集するTV番組が放映されていたり、DVDなんかも流通し始めた段階でした。

庶民以下の暮らしをしていた学生には、DVDなんか到底買えず、先輩から流れてきたダビング済みのVHSが教材でした。

ダンスを教えてくれるスタジオは、今より格段に少なく都内でも専門スタジオはほとんど存在していなかった記憶があります。

頼れるのは、数ヶ月早く始めた先輩の指導。

今考えれば、99%が気合いと根性で構成されていたような気がします( ˊ̱˂˃ˋ̱ )

“そんな感じ”

でまとめられる整合性が無い技術を、「上手くなりたい!!」情熱で受け取り、何も分からないまま、家に帰って練習という運動をしていたのが懐かしいです。

その反面、ある一定の範囲内に身を置いたダンサーは、先人が編み出した虎の巻に触れ、メキメキと驚くほどのスピードで上達していた事を、数年経ってから知ることになるのです。

それが、”RhythmTraining”です。

もちろん、”範囲外”だった自分もその練習方法は知っていましたし、実践していました。

だけど、その意味合いが全く伝わっていなかった。むしろ、間違っていた点すらあったのです。

「先輩が悪かった。」なんて、頭が裂けても思いません。

だって、先輩達だってそれを必死に習得して、必死に伝えてくれたのですから。

それがストリートなんです。

自分達は良い方だと感じています。

その前に、ストリートダンスに参加していた人達は、更に過酷な習得方を自ら実践して、今日のダンスシーンがあるのです。

あの時彼らが諦めていたら?

あの時彼らが全てを変えてしまったら?

今、自分の前にあるストリートダンスは、姿かたちは一変していたでしょう。

自分は、始めずにいたかもしれません。

始めなければ、頑張る経験をしなかったでしょうし、歓喜の瞬間も訪れなかったでしょう。

そしてまた、「ストリートダンスを伝えよう!」なんて事はまずなかったでしょう。

ストリートダンスを伝える理由

“輩”だったストリートダンス使用前。

部活が強豪校だった反動?で、引退後から高校卒業にかけて闇のエスカレーターに乗っていた自分は、抜け出したい気持ちと抜け出せないジレンマの中、ストリートダンスと出会いました。

「没頭する事で、自分を変えられるかもしれない。」

そんな期待を抱いて、毎日ダンスに明け暮れました。

いつしかそれが、

モテたい→喜ばせたい→貢献したい→伝えたい

と変化していっていました。

“伝えたい”までは、案外すんなりいったものの、その先の”伝わる”がどうしても見当たらなっかた事が功を奏して、そこから猛勉強をスタートさせたのです。

生まれて初めての勉強。

どう勉強したら良いのかすら分からずに、ただただ人の言いなりになった事もあったし、意味があるのか無いのかわからない事まで必死に詰め込んだ。

スケジュールの優先順位を変えてまで、寝食を忘れてまた没頭しました。

そこで見えてきた事業構想。

確信した未来予測。

不明確だったヴィジョニングは、とうとう「ダンサー王国」という形で、旗を立てたのです。

たった一人。

旗を振って、大きな声で叫びながら。

ダンスに出会って10年の月日が流れた頃でした。

未来予測

自分は経済学者でも、敏腕経営者でも無いため数字や極論を用いての明言は避けますが、一般的にネットに出てくるようなレベルの情報だけで考えてみても日本の、いや、個人レベルでの経済環境の変化は、これまで自分が生きてきた中でも大きく変化していくと言えるでしょう。

人口構成が変わり、働き方が変わり、お金のあり方が変わり、コミュニケーションの取り方が変わる。

住むところが変わり、出会う人が変わり、進む道が変わり、人が変わる。

背景が変わり、適応対象が変わり、感覚が変わり、考え方が変わる。

自分が子供の頃と比べても、普遍的だろうと思っていた事が、音を立てて変わろうとしている。

生き方自体に変化を求められている時代が始まっているんだと捉えています。

人生100年。とは嘘であったとしても、何もなく生きれば自分は残り50年程度でしょうか?

まだ、半分も生きてはいないのです。

それでいてこの変化。

自分が全てを全うする頃には、恐らく”今”という瞬間すら形に残らないように感じています。

要は、準備や備えは意味を成さず、その瞬間その瞬間を必死に輝いていく時代になるんだと確信しているのです。(異論には対応できませんので悪しからず。笑)

今を楽しみ、今を生きる。

ちょうど、堀江貴文氏がそんな公演をしていますので調べてみてください。

あ、自分の場合はなんとなくですが、ステージ上でそんな風に過ごしてきた裏付けをホリエモンがしてくれたみたいな形になっています( ´∀`)

ステージや舞台裏って、戦場なんです。

押しや巻きで、スピード感が決まります。

雰囲気や流れで動きが変わります。

経験のみで対応をするんです。

もちろん、最低限の準備はします。

そして、最小限の準備にします。

あとは出たとこ勝負です。

裏付けは練習でどこまで必死になれるか?

ダンスにどこまで真剣に膝を突き合わせて、自分の思ったようなボディコントロールとグルーヴ、リズムを立体化させられるか?

それがまた辛いんです。

理想はあれど、全然それに追いつかない。

好きな人に告白する前に諦めてしまうようなダンサーは何億人といる事でしょう。

本気になればなるほど、自分が見えなくなる。

動けない事って辛いんです。

レッスンって、訓練場なんです。

でもそれは、大人のプロダンサーだけのことじゃ無いんです。

キッズダンサーでも、同じような事があるんです。

“逃げる瞬間”ってわかります。

“入る瞬間”もわかります。

それは、20年近くステージに立ち、同じだけ教えてきたから分かるんです。

今ダンスを始めたばかりの子にだってあります。

そんな時の横槍が一番痛い。

痛いからこそ、跳ね除けてほしいのですが、跳ね除ける術を知らない子供は、跳ね除けることすら知りません。

「まだ始めたばかりだから…」

「真面目にやれって言ってるんですけどね…」

「嫌ならダンスやめるよ!!」

などなど。ご両親からしたら、心配でかけている優しい言葉も、跳ね除け方を知らない子供たちには”諦める理由”になりがちだったりします。

でも、この程度はどんなスーパースターの親でもやってしまう事です。自分の子は自分以上に厳しくなるものです。

子供も成長の過程でその一言一言に涙を流す日が必ずやってくるでしょう。

自分が見てきた中で一番心痛めた例があります。

それは、「親の無関心」です。

自分自身、一度もお会いした事がありません。

事情はあるにせよ、連絡も取れずメールの返信もない。

送り迎えは、お爺ちゃん。

イベントの説明をするも、ほとんど理解できずに数える程度しかステージを経験した事がない。

それでもそのステージに立った経験を胸に、レッスンには足を運ぶ子供。

そんな子にこそステージに立ち続けて欲しい。

ストリートダンスは、世界の不遇な青年、子供達を救ってきました。

自分のその一人です。

だからこそ、自分の足で踊って欲しいんです。

実は、こんな極端な例じゃなくても、無関心はすぐ側にあるんです。

「レッスン中の何気ない談笑(親同士の)。」

「他の子に対しての気遣い(過剰な)。」

「先生や他の保護者に対しての提言(子供の前で)。」

これは、中学生の時、母と同じ保育士の道を志そうと、母に相談した時に、母から聞いた、「自分の子供(CobA)が園にいる時に注意していて辛かった事」を、ダンスレッスンに置き換えてお話ししています。

確かに、母と保育園の廊下ですれ違う時は家でのような目配せもされず、「お母さん」と呼ぶ事すら禁止されていました。(※CobAの出身の村には一つしか保育園がなかった。)

「それでも、保育士になる?」と問われ、少し寂しくなったので夢は途絶えました。

でも、それが今わかるんです。

一生懸命練習して、「できた!」と笑顔で振り向いた時に、母が違う方を見ていた時の寂しさを。

違う子を抱きながら、「あなたは大きいから」と注意される寂しさを。

向上の為の提言も、「お母さんケンカしてる。」と受け取ってしまう悲しさを。

ちょっとした事で子供は無関心を覚えます。

それは、事の大小問わず。事の善悪を問わず。子供は子供の受け取りのまま感じ取るのです。

もちろん、理解で成長する事だってできます。

でも、ダンスの前ではお母さんの嬉しそうなその瞳だけが子供達の報酬なのです。

だから、「また頑張ろう。」って思えるんだと思います。

上手くなるかどうかは、わかりません。

でも、確実に母を信頼し、子を成長させる関係は山が動くように構築されていく事でしょう。

そんな親子は、これからどんな時代が来てもその愛で対応し、どんなチャンスが来たとしても、その心で進んでいけるのだと確信しています。

終わりに

現状から抜け出すために始めたストリートダンス。

大きな言い方すれば、未来を変える力を与えてくれたストリートダンス。

これまでも、これからも愛するストリートダンスを、同じぐらい愛してくれる仲間に伝えていきたい。

社会的に見たら小さな媒体だけど、俺にとったら人生の大半を占める伴侶のようなもの。

全ての人がそうなれるかどうかは分からないけど、俺が経験してきた全てを曲げずに伝えたい。

エゴと言われればそれもそうかも知れない。

でもね、俺と同じぐらい、それ以上の情熱をもって伝えてきてくれた人がいるから。

俺と同じぐらい、それ以上の情熱をもって伝えていく人がきっといるから。

俺は、それ以外のことは伝えられないのです。

死にゆく様を決めたストリートダンサーだけが通る茨の道。

どんな時代もその時それぞれの宝物を探して、確証もない噂の世界をひた走る道。

ある人は笑われ、ある人は嘆かれただろう先人達。

こんなカッコイイ世界にしてくれてどうもありがとう。

こんな未完成な俺についてきてくれる沢山の仲間、生徒、スポンサーにありがとう。

「ダンサー王国」は、俺とみんなのすぐ側にある。