ホメオスタシスとプロパガンダ

人は危機に直面すると、どこかにあるであろう安心材料にすがろうとする。

理由が分かれば、まるでその全貌が見えたようでなんとも言えない安心感に包まれる。

では、その確固たる理由が見つからない場合はどうだろう?

きっと、不安になり全てが偽りに見えてくることもあるだろう。

その結果、判断は偏り自分に利のある方向性にしか目を向けなくなる。

それが正しいのかどうかは二の次として、多角的な見方ができなくなる。

人は、危機に直面した時にのみ自分の生きてきた過去から今を選択し未来を生きなければならなくなる。

風邪をひくと大抵の場合発熱しますね。

熱を出す事で体内のウイルスや細菌を死滅または不活化させる効果があり、人の持つ免疫作用の一つなのです。

体内のそれらが弱体化すると、熱は不必要になるので平熱に戻ります。普段の自分に戻るのです。

これを”ホメオスタシス(恒常性)”と言います。

脳科学でもこの定義は基本とされていて、不安を感じると安心できる自分に戻ろうとするのです。

パニック状態なら尚更で、ウソをつきやすい状態になるのもこの時です。

ウソをついているかどうかは他人にはわからないので、ウソとは自分しか知らない真実があることを指します。

大事なのは「今ウソをついている。」=「今パニックになっている。」という事実を自覚できているか?ということです。

先にも述べたように、パニックは不安の進化段階であり、普段の自分を逸脱した状況です。

どうにか普段の自分に戻りたくなり、その場を取り繕う。

ウソをつくとは、自分の限界点を自分自身に教えてくれているチャンスなのではないかと感じます。

しかし、そんなチャンスに気がつかずさらさらとウソを並べてしまっている段階では、全くもって自分は気がつきません。

さらには人を巻き込む場合が多いので、ますます後に引けなくなるのです。

最初は心痛めながらつき始めたウソも、回数を重ね嘘をついていることすら気がつかなくなる。

最後には、それがコンフォートとなり思ったように事が運んでいると思い込むようになります。

そかからが、”プロパガンダ”の始まりです。

プロパガンダとは、特定の主義、志向に偏った偏向的な扇動のことですが、まさか自分がそんなことしているとは自分を含め誰も思っていないでしょう。

有識者なら特にその気が強くなるでしょう。

「私が常識を作っているんだ!プロパガンダの何が悪い!!」

という調子です。

その通り、プロパガンダの良い悪いを話しているのではありません。

誰しもがその可能性を秘めているのです。

私自身、プロパガンダを作り出し、その中で生きているのでしょう。

しかしながら、自分の人生他人の偏向的価値観を押し付けられて生きていくのは、少々息苦しい感じがします。

昨今の社会情勢の中で、気づくことが沢山あります。

偏向的になるのは、不安を感じるのが最初だと書きました。

そして、不安の中に安心できる材料を探すのだとも書きました。

そこに自分の求める、偏向的な思想に触れたらどうなるでしょうか?

まるで両思いになった恋愛のように、みるみるうちに惹かれあっていくのです。

しかし、その人にとっては真実ですが、思考統制をした方としてはウソなのです。

それにある瞬間から気がついたとしたら、そこから過去は音を立てて崩れ落ちていくのです。

私には、一つの信念があります。

「人は人によって磨かれ人となる。」

どんな人との出会いでも、自分を磨く研磨剤として私を輝かせてくれるのです。

しかしそれは、破壊的であり裏切り的な事例をもってして実現します。

問題は、それに気づくことのできる自分でいられるのか?どこかでウソをつき無いものとしていないか?

そんなチェック機構が自分自身の中で形成されていくこと。

人は常に安心したいし、思った通りであって欲しい。そういう願望が発展を生み出してきました。

しかし、あと数ヶ月先には技術的な発展に加えて、人間的発展を試される世の中がやってくるように思えて仕方がないのです。

一貫した思考にのみ、たった一つの結果が与えられる。