こんばんは!
フリーダムダンサーのCobAです!
今日は嬉しい事がありました!!!!!!
今日のJr.クラスのレッスンの前にある女の子が、質問を紙にまとめて持ってきてくれました!
「あ〜!!この時の為に俺は勉強してきたんだ!!」
と、しみじみ感じてその質問に答えました。
質問は以下の通り。
1、ストリートダンスとHIPHOPダンスの違いは?
2、HIPHOPダンスなのに、ブレイクダンスをやるのはなぜ?
んー!!いい質問!!!!
この質問を見て、インストラクターの皆さんは”答えられるかどうか?”よりも重大な事に気づかなくてはなりません。
…
1973年。アメリカ、ニューヨーク、ブロンクス、サウスブルックリン地区。
いわゆる”ゲットー”。
HIPHOPと呼ばれるのは、まだ後の事。
彼らは、その遊びのど真ん中に身を置いていた。
日本で言うところの、高校生からハタチ前後。
いいところは、公園?に集まり、全て持参?でパーティーをして楽しんでいたという。
日本なら、健全な感じな好青年達に感じるかもしれない。
でも、そこはゲットーだ。
生半可に生きている者なんて一人もいない。
毎日がサバイバル。
食うか食われるか?の前に、生きるか死ぬか?
そんな中で、唯一の楽しみが友達と集まり、一つの共有物に自分を感じる事。
後に、HIPHOP(ノリノリでイケてる)と呼ばれ、全世界に底辺からのカウンターを喰らわせた。
今やHIPHOPと言ったら、洋服屋さんでかかり、フィットネスクラブでかかり、テレビの一般向け番組のBGMにだって使われている。
当たり前すぎて、空気みたいな存在になりつつある事もしばしば。
でも、それも彼らが望んだ事。
Peace
Unity
Love
HavingFun
そして、Knowledge
HIPHOPというお届け物を開ければ、もれなくこの5点セットが入っている。
すでに、世界に振りまかれたときには、この最強パックが完成していた。
しかし、転送を重ねた結果、このHIPHOPというダンボールの中には、何一つ入っていない事も珍しくない時代になってきた。。。もしくは、そんな予感がしているのは俺だけかもしれない。
俺がHIPHOPを感じ始めたのは16年程前からだ。
そんなに遠くない過去だ。
そもそもHIPHOPなんて、聞こうとも思わなかったし、俺の人生に関係ないとさえ定義してた。
高校生の頃から地元のクラブには出入りしていたが、当時の俺は”トランス”が主流で、情報不足(当時はインターネットも不十分)からか間違ってHIPHOPのイベントに押し入った事もあった程だ。
とにかく騒いで暴れまくるトランスに比べて、当時、地方のHIPHOPは酒を片手に壁際に立って動かないことから、俺たちは”つくしんぼ”と叫んでいた。
だから、大学でHIPHOPに出会った時、受け入れがたく、拒んだ。
だけど、HIPHOPはそんな俺にピッタリだった。
大学進学の目的”教員免許”を早々に諦めた俺は、ヒマを持て余していた。
“トランス”の友達からも度々連絡は来るものの、そんな連絡さえうざったく感じ距離をとっていた。
そんな時、HIPHOPとダンスが俺を支えた。
大学のダンス部に面白い先輩がいて、その先輩の家に入り浸った。
夜から朝はゲーム。
昼は睡眠。
夕方から踊りに行く生活。
そこで聞く日本語ラップはどれも俺の心に突き刺さり、次第に身も心もHIPHOPになっていった。
俺の一番好きなリリック
「一度掴んだベースボールバット、投げたらゲームオーバー。」
-DJ YUTAKA feat.ライムスター/サクセスのひみつ
これを聞いた時、俺は「ぜってえ離さねえ。」と心に誓った。
1973年。
彼らの中で誰かがそう思ったのと同じく、20歳そこそこのCobAはそのビジョンに深く共鳴した。
それが、今俺がダンスを踊り、HIPHOPを伝える根源でもある。
これは、誰になんと言われようとも不変的な俺を構成する要素だ。
「どんな人でもHIPHOPを理解でき、その人生のプラス要素として捉えることができる。ただし、HIPHOPに偏見を持たない人にのみ有効である。その人はまた、HIPHOPの中に漬物のように浸されることで理解できる。俺のように。」
将来を悲観視される昨今。
残念ながら、その展望は現実化して行く傾向にある。
そんな中で生きる子供たちにこそ、HIPHOPという文化は理解してもらいたい無形重要文化財だと感じている。
そんな事を理解したストリートアーティスト達だけで作るステージ
「ANNY LIVE」
は、台風が去った明日、7/29(日)16:00オープンです!