その理由の多くは、人であることが大半です。

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

霧の中に包まれて、お買い物してきました^ – ^

お買い物と言っても、メンバーが使う衣装の買い出しにちょくちょくアウトレットに行きます。

やっぱり見て触らないと、感性は生まれないですからね(*´Д`*)

この日は、平日の昼間で雨が降っていたので土日の100分の1ぐらいの来場者数で、お店によっては店員さんを独り占めできるほどのVIP待遇です。

接客が良いとディスカウントされたTシャツをついつい何枚も買ってしまうのですが、この日は7枚にとどめました( T_T)\(^-^ )

もちろん、事前に設定した予算内で購入するので、買いすぎる事はありません。

費用対効果を想定しながら、ある種の設備投資をするのです。

簡単に言うと、”喜んでもらう”為にお金を用意しているのです。

お金はしばしば悪者にされがちですが、私の認識ではどちらでもなくただの物体です。

そこに色をつけるのは世界中で人間だけですから、お金を含めた物体は人によって色が決まるのです。

そしてその色は、見る人の過去の経験値から感情が付け足されます。

結果、そのものの良し悪しが決まってくるのです。

例えば、結婚とは書類上の申請です。(だから女性にモテない…)

しかしながら、幸せな家庭を築き夫婦円満に過ごしている人なら「結婚は良いよ。」と話すでしょう。

逆に、残念ながら結婚詐欺にでもあったような経験を持っている方は「結婚なんんかしない方が良い。」と必死で周知するでしょうね。

事象と感情は人によって異なるのです。

では、結婚を”ダンス”に置き換えて話をしましょう。

ダンスとは、音楽をかけた状態で身体活動を行う運動です。(状態のことです。)

そこに良いも悪いもないはずです。

しかしながら、ダンスを続けている人は「ダンス楽しいよ。」と言い、続けなくなった人は「…あのね…」と言ってくれるでしょう。

その理由の多くは、人であることが大半です。

なぜなら、この社会全ての物事には人が介在し、動かしています。

もしも、ダンスが嫌いと言う人を見かけたなら、それに携わっていた人の言動を自分の過去の経験から判断しているということになります。

言い換えたとしたら、「ダンスを踊っていた時にあった人間関係の事例の中で、どうしても嫌なことがあった。」ということになるでしょう。

人は未来的な判断を、過去の経験から引っ張り出します。

過去には沢山の色んな記憶がごちゃ混ぜに詰まっています。

膨大な記憶の整理は難しく、良い感情の記憶も、そうでない記憶も混在して一つの箱に詰まっています。

そして、”だいたい…”で過去の感情を決めるのです。

そのだいたいこそが、自分自身の正体ですが今日の論点はそこではないのでまた別の機会に書きます。

ですが、そんな”だいたいの自分…”は、未来を決めるのにものすごく重要です。

だいたい良くないと決めつけた自分は、未来の判断をどんな風に見るでしょうか?

だいたい良いと決めつけた自分なら、どんな未来を想像しますか?

未来は変わりません。今のままでは。

今を変えるから、未来は変わるのです。

今という瞬間は、すぐに過去になります。

変えるのは、すなわち過去なのです。

過去が変わると、未来は変わります。

過去の構成要因は、先にも述べたように”何をしたか?”だけではなく、”誰といたか?”が大半を占めます。

法的には、犯罪を犯した者は一般と隔離され、他の人にできるだけ影響が及ばないように強制的に措置されます。

犯罪までではなくても、恐怖や不安で人間関係構築している場合は、そこから逃れる行為を拒むでしょう。

今、悩みを相談できる相手を10人考えてみて下さい。

。。。

その方達の平均収入が、5年後のあなたの収入にそっくりでしょう。

。。。

と、10年前にメンターからこっぴどく言われました。

結果、私の場合は時間はかかりましたが少しずつではありますが、彼らの収入に近づきつつあります。

そして、こんなことも言われました。

「もし、収入を変えられるのにが変わらないのであれば、それは自分自身が成長していない証拠だ。」

とも教えてくれました。

もちろん、話を伺った当初は収入を自身で変える手立てなんて持っていませんでしたから(誰かに決めてもらっていた。)無理に近いのですが、自身でクラス運営を始めた瞬間に、収入を変えられる、自分を変えられる予感がガンガンしたのを覚えています。

しかし、現実はそんなに甘くなく数年間はま〜ったく変わらずに、低空飛行を続けるのでした。

そんな時は、時代のせいにしてみたり、誰かのせいにしてみたり、お客さんのせいにしてみたりもしていたと思います。

ひどい時は、「お金の為なんかにやってないも〜ん。」なんて遠吠えしていたことだってあります。

今考えると、

お金のためにやってない=誰かを喜ばせようとなんて実質的にしていない=誰も喜ばない=自分を無理やり肯定したくなる=誰かを引き合いに出してみたくなる

と言った負のロジックに陥っていたんだと思います。

その時に、助けてくれたのもやっぱりメンターでした。

「大丈夫。君にならできるよ。」

この言葉をどんな状態でも、必ずかけてくれました。

そしていつも、ピントを合わせてくれて別れてくれます。

いつしか、メンターを大好きになった私は、そんなメンターを見つけた自分を褒めるようになっていました。

だから、思いが変わったのです。

「お金は感情を増幅する道具である。欠けた月はどんなに大きくしても欠けたままだ。」

自分以外の誰かが喜ぶ。

その為にお金を使おう。

その為にお金を得よう。

その為に自分を変えよう。

その為に…

このご時世、そんな気持ちが見えやすくなっています。

ハッと思ったら、その場を離れるようにしましょう。

いつの時代も、”残ったら自分”です。

収入は自分の為だけにあるものではありません。

収入が無くなるのは、自分のせいです。

収入が増えるのは、誰かのおかげです。

もしも使いきれなくて残ってしまったのなら、お金さんに謝って使い道を一生懸命考えましょう。

予算設定の甘さを理解し、新しい予算を再設定しましょう。

私が弟子に教える一番初めの事柄は、ダンスではなくこんなことを話しています。

私自身がそうしてもらったように。

3+7=10

こんばんは。

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

毎年のことながら、サプライズをモロに受ける37歳です。

居合わせた皆さん、遠くで感じてくれてた皆さん、ありがとうございます。

3+7=10です。

37歳は10歳です( ◠‿◠ )

九の次は十です。

十は〆です( ◠‿◠ )

思えば、9歳(36歳時)には括る出来事が沢山あったような気がします。

それも、駆け込み需要のようにふんだんに…(_ _).。o○

10歳(37歳時)は、新たなスタートが切れるよう準備をする年なんだと感じています。

NQの時代と言われ始めて数年が経ったと思います。

正しく今、そのNQが必要な時期に差し掛かっています。

“思いやり指数”とも訳されるこの指標は、Network Quotientの頭文字をとっています。

共存指数であり、ネットワークの構築価値がIQやEQと同じように評価される時代にあるのです。

競争社会から、共闘社会へ、その歪みの中注目された共存社会は、誰といるか?が強烈に問われてきます。

このロジックは単純明快で、どの地域でも古くから伝えられてきた生きる鉄則です。

人は、生まれてこのかた一人では生きていけません。

誰かに抱かれ生まれ、誰かに惜しまれて亡くなるのです。

その間、他の誰かとの接触を立つことは不可能でしょう。

自由になりたいと、無人島に引っ越したとしたら恐らく3日間で誰かの温もりを感じたくなるでしょう。

有名な教師が「人という字は支え合ってできている!」とはよく言ったもので、支える気がなくても、誰かの為になってしまっているというのが本当のところでしょう。

汚いとされる手の常在菌ですら、味噌や漬物などの発酵食品には欠かせない存在です。

同じ生物なら、それ以上に必要とされる事は理解できると思います。

しかしながら、人は頭では理解できる事でも心で判断することが多く、感情によって制限時間をコントロールしている状況が誰にもあります。

感情は、自分の心を開放する一つの鍵ではありますが、私の感覚では感情だけ生きるという事は、爬虫類に近く不自由な共闘社会に生きていく必要があるのでは?と感じます。

感情の代名詞として、”恋愛”があります。

感情の赴くままに恋愛をしたらどうなるでしょう?

ご想像にお任せしますが、恋愛ドラマが売れる理由は”そうならない理想”だからでしょう。

こんなことを書いているから、女子に不人気なのかもしれませんが…上手くいく恋には人のことを考え抜く力が必要です。

要するにNQです。

その人と共存して生きていく決意と、それに見合う行動です。

言わば「誠意」という言葉に置き換えることができるでしょう。

誠意とは”誠の意志”と書きますから、良いも悪いも無くその人の行動そのものなのです。

言っていることよりやっている事。

他界した尊敬できる先輩が口酸っぱく最後まで教えてくれていました。

誠の行動が、誠の生き方を作り、誠の仲間がそれを手助けしてくれるのです。

仲間は、自分です。

アナタは私で、私はアナタなのです。

いつか、新人ダンサーに初対面で話したことがあります。

「人は鏡だから、自分がつまらないと感じている相手は、実は自分がつまらない人間だったりする。」

その子とは、その後お会いする機会がありませんでしたが、私から贈れる最幸の言葉をチョイスしました。

「だからこそ、これから自分がそうなりたいと思える誰かとお付き合いしてみなさい。」

そう付け加えたことも忘れずにお伝えしておきます( ✌︎’ω’)✌︎

人は人で磨かれ、人となる。

人生は時間であり、時間とは誰と接しているか?

文字どうり人が生きるという人生は、人が人と出会う事で成り立つ壮大なネットワーク構築ゲームなのだと、37歳になった今”良かった”とその半生を振り返って心からそう思います。

誕生日には、お陰様で数十名を越える多くの方からメッセージを頂きます。

全ての皆様にご返信できる事を頑張っておりますが、それ以前にメッセージを頂いたことで、私が至らなかった点を振り返ることができております。

大切な皆様の感謝しながら、この10歳を1歳になる為に準備していきますので、今後とも多少の失礼は承知の上、お付き合い頂きますよう、よろしくお願い致します。

有り難う御座居ま寿。

ストリートダンスとは何か?

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

突然ですが、ストリートダンスと聞いて、何をイメージしますか?

素材サイトで検索すると、上記の画像がトップに出てきます。

おそらく、”ストリートダンス=ヒップホップ”といったイメージがほとんどでしょう。

それもそのはず、ヒップホップカルチャーは1970年代からの半世紀もの間、この地球に存在していて変化しながらも時代に適応しています。

カルチャーと言ったのは、ヒップホップという言葉自体が総称であり、その”様”を表す表現だという概念に基づいているからです。

大まかに言えば、ヒップホップカルチャーの中で好まれ踊られるダンスがヒップホップダンスだと言えるでしょう。

そう捉えると、いわゆるヒップホップダンスもストリートダンスの一種だと言えます。

実は、ストリートダンス自体は、100年の歴史がある事が知られています。

1900年以前についても脈々と踊られてきたのでしょうが、動画はもちろんのこと文献なども入手は困難ですし、100年前のダンスを「ストリート」と呼んでいたのかといえば、呼んでいなかったように思います。

ストリートという言葉自体にも定義は付けづらく、それに携わる人それぞれが持ち合わせるイメージに依存しているような気がします。

私自信は、”その時代の流行り”であると少し乱暴ではありますが、そう定義することとします。

時代がストリートを作っているのです。

ダンスで言えば、

~’40s アフロアメリカン(黒人)の差別から生きる道→ジャズ(タップ)

~’60 TVの普及→ロック(ツイスト)

~’80 黒人差別解放へ→ソウル、ファンク(ロック、ポップ、ブレイキン)

~’00 資本主義の完成→ミュージックビデオ(ヒップホップ)

~’10 インターネットの普及→複合的音楽の多発(ニューダンスの開発)

~’20 SNSの爆発的進化→音楽の個別化(ダンスも準ずる)

ざっと、書き出しただけでも時代によって好まれる音楽様式は変わります。そこに付随するダンス自体も変わっていくことは明白でしょう。

ストリートとは、定義されづらいサブカルチャーなので境目などは明確に示されないのも特徴です。

特にこの20年は、変化の速度が年単位で変わっています。

去年の流行は、今年は古い。なんてこともザラな昨今です。

毎日変わる占いのように、日々の流行が起こってくることもありそうな気がします。

そうなったと仮定したとき、流行は流行でなくなり日常となっている。「今日は水玉の服を着よう。」のように”今日の音楽”があり、ダンスがある。

今日のダンスは明日は踊らない。自由に踊ることがダンスとなる。

そんな未来がやってくるような気がします。

ストリートという言葉の性質を抜け、後10年程経った時には明確に定義されることになりそうです。

要点は、ストリートカルチャーは未だ変化し続け、ストリートでなくなるまで磨き上げられるということでしょう。

現時点で私たちが使う”ストリート”とは、私たちが作っていくのがストリートではなかろうか?そう感じます。

バレエのように定義化されたダンスはアカデミックとなり価値が安定してきますね。

ストリートダンスが定義化されアカデミック化された状態となった場合、価値が安定し上昇してくるでしょう。

これからが、本番だと言えるでしょう。

私自信20年間多角的にストリートダンスを見てきました。

一般のダンサーでは見れない部分も、幸運な事に見てきました。

師も多く、海外の友人も複数います。

観客10人のお祭りイベントから、2万人のアリーナまで経験しました。

10年以上事業に携わり、ダンスの経済的立ち位置も知りました。

健康生活体育専攻の学生時代からの20年間、健康的側面からのダンスを学び続けています。

弟子もダンスで収入を頂けるようになり、多方面で活躍しているようです。

多くの仲間とダンスコミュニティーを構築し、互いに信頼しあえる環境を作りました。

そんな私が今何をすべきなのか?

「過去から学ぶ」

そう強く思いながら、毎日メンバーに向き合っています。

いつでも、どこでも通用する共通言語となりうるダンス。

個人的見解や個人的嗜好が少なく、立証できた技術と伝えられた考え方を軸にレッスンを行なっています。

最近、「基礎をやってもらえるから選びました。」と声をいただく機会が多くなりました。

目のある皆様に選んでいただいて光栄です。

基礎が全てで、基礎が未来です。

基礎以外をレッスンする事は、今は良くても未来においては必要ないと感じます。

基礎は基礎を会得した人にしか分かりません。それは、人間性にも滲み出るぐらい体に刻み込む事です。

それを知った人は、成長に比例して何かを生み出す事が得意になったりするでしょう。

ましては、犯罪や迷惑行為に走るような人材はしっかりと基礎を会得した人には、自信を持っていないと断言できます。

もし、ダンスにまつわる犯罪行為などを目にしたり耳にした場合は、その人が無価値だったと残念がりましょう。

一番危惧していることは、言いなりになってしまうこと。指示を仰ぐようになってしまうこと。

それは、振付にこだわるあまりにグルーヴが抜けたダンスを見ているようで面白さのカケラも失ってしまいます。

もし、SUP!!のショーを見て「上手だね!」以外の褒め言葉が見つかったなら、遠慮なくお伝えください。

ストリートダンスには、上手に踊るというゴールはないのですから。

リアルレッスン再開!

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

6月1日よりスタジオのリアルレッスンが再開されました!

しかも、新しいメンバーには衣装を配ることもでき、テンション高めで笑顔が弾けていました。

まだまだ外に出るのを躊躇しているメンバーも、web補助システムにより自宅で久しぶりの仲間とコミュニケーションをとっているようでした。

家の中では、お母さんと一緒に練習する風景もあり、家庭でのコミュニケーションツールとしても、ダンスは一役買っているような気もします。

そんな家庭のコミュニケーションという愛が、今後最も価値を高めていく一つになるだろうと予測しています。

先般の一大事件。世界中で健康の大切さに誰もが羨んだ感染症。

未だ逼迫した状況がこの地球上の中、あるいは日本の中にあると思うと、今健康に好きな事をこの数ヶ月間継続して行えていた事をありがたく思います。

3,000人を対象にしたあるレポートによると、この大変化の中で良かったと思える事のトップに「健康」という言葉が上がっています。

実に全体の77%を占めた回答です。

全く同感であり、それこそがどんな科学的な対策よりも重要な事であると感じます。

イタリア国立衛生研究所は、今回の感染症で死亡した人の約96%に持病があり、平均年齢は約80歳だと発表しました。

また、その中の60%近くが3つ以上の基礎疾患があり、高血圧、糖尿病、心臓疾患が主な症状だったようです。

端的に言うと、「生活習慣病」です。

日本人の死因の約6割は生活習慣病であると厚生労働省も言う通り、私たちの生活にはいくつものリスクファクターを抱えているのだと、ハッキリとこの現状の中で危機意識を持つことが重要だと感じます。

まことしやかにささやかれる”第二波”は、歴史上や疫学上でも確かにやってくるとされています。

100年前のスペイン風邪でもそうですし、最近のインフルエンザでは毎年のように流行しています。

ではなぜ、インフルエンザはパンデミックとなりづらいのか?

「それは、ワクチンや特効薬が開発されている。」それも一つの答えでしょうが、私は一人一人がそれらに対して、意識的、無意識的両面から対処しているからのように思えるのです。

恐らく、第二波はやってくるでしょう。

しかしながら、自分の身体を強固にし、意識的なアップデートを試みた状態でどれだけ抑制が効くのか?

今、それが私たちに地球から課せられているように感じます。

それをコントロールしていくのは、紛れもなく”食卓”でしょう。

何を食べるかで、どんな体が作られるのかが決まります。

しかし、この現代社会の中でそれを選び実践していくのは至難の技です。

ですから、SUP!!では一つの提言をさせて頂いています。

「一汁三菜」に戻そう。

栄養不足に感じるこの言葉ですが、実は現代人は逆に”栄養過多”なのです。

生活習慣病も、現代病として栄養過多による側面が大きい事が原因として挙げられます。

質素に感じるほどの日本伝統の和食文化を、今一度見直してみてはいかがでしょうか?

発酵食品の味噌汁に、同じく発酵させた漬物。数種類の野菜の栄養価を含んだ煮物とEPA、DHA豊富な魚料理。

そんな食卓には匂いがあって、色がある。

素朴な味は、イマジネーションを膨らませる良い機会でもあります。

「どんな風に作ったのかな?」

きっと、煮物を口いっぱいにほうばった我が子は、母がキッチンに向かう背中を思い出しながら想像しているでしょう。

口いっぱいに広がる、母の味に「おいしいね。」とつい口をついて出てしまうほど、心がこもったその小鉢は未来を手繰り寄せるヒントになるのかもしれません。

高校生ぐらいになったら、一品ぐらいは自分で作ってみるのもいいでしょうね。

今日の大人レッスン

きっと、自分を大切にしたくなる魔法がその工程の中に含まれているでしょう。

スタートアップスタジオでは、そんな自分と家族を大切にする皆さんの更なるチャレンジを応援しようと、

「一汁3菜キャンペーン」

を実施中です!

ぜひ、この機会にご利用下さい。

詳しくはこちらでご確認ください。

見えない未来に、闇雲に剣を振り回し自分を傷つける前に、まず自分を大切にしてみてはいかがでしょうか?

第二波が、なるべく多くの悲しみを生まないように、私たちが出来る事に一つづつ挑戦してみましょう。

ここから何を得たのか?どう変わるか?

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

日本中、世界中が自由の尊さを噛みしめ、求めている昨今。

今まで甘ったるい事を言っていた自分を、懐かしく思うような今。

ほんの数ヶ月前までは、人間の歴史の延長線上に立っていたようです。

その数ヶ月後には、”出口”という言葉に喜び、止めていた一歩をもう一度踏み出そうと思いを馳せていたりもします。

または、出口が見つかったにも関わらず、一歩も踏み出したくない衝動に駆られる事だってあります。

何が正解なのか?なんて、誰にも分からない時間を地球上の全ての人類が過ごしています。

でも、実は今までもそうだったのではないでしょうか?

昔あった写真の”焼き増し”は、時間の切り抜きをコピーする技術でした。

あるテーマパークで撮った写真を誰かに焼き増しで渡し、その後その場所に行って同じ場所で写真を撮ったら、全く違う風景が撮れた。

これは、時間が経てば立つ程に現実味が出てくる事でしょうし、最悪テーマパークは無くなっている事だってあるでしょう。

時間というのは、その瞬間が最高値であってそこから先は、急激に価値が減少していくのです。

しかしながら、そのテーマパークで写真を撮ったのが、自分ただ一人だとしたらその写真という物自体の価値は、時間が経つごとに急激に価値の上昇が見られるのだと考えます。

時間は有限で、物は変動するのでしょう。

物というのは、この世界を構成する全てを指していて、酸素などの気体も含みます。

時間が変わると物は変化します。

「いい車を買った。」

としたら、その価値は物ではなく、時間に左右されるという事なのでしょう。

さて、前置きはこのぐらいにして、私が今回の一連の流れの最中で感じたことを、お話しましょう。

「よかったな。」

これが中間結論です。

間違いなく、私の個人的な見解ですが、本当に良かったと実感できる事が多いのです。

もちろん、その中身には嫌な事や辛い事、抱え持つ不安感など、ネガティブに働く思考は同時について回っています。

でも、やっぱり「ダンスをやっていてよかった。」「あの時思い切ってよかった。」「こんな人に出会えてよかった。」など、よかった事が頭に流れてくるのが心地いいんです。

今、人生の幕を降ろしても「よかった。」と思える人生でありたい。

ですが、まだまだそんな幸せは手に入れていないようです。

「よかった。」の後にやってくる問いは、「自分だけか?」です。

その問いについての答えは、いつも「NO」です。

今回、衝撃的に思った事の中でも一つ挙げるとしたら、「大きなステージを完備した庭付きの家が欲しい。」です。

10年前に書き出した100個の夢リスト。

その中の50%以上が、今叶っています。

叶だろう夢を含めたら、70%程度の予想値です。

ですが、直近の夢リストになると、20%にも満たなくなります。

それが成長なのだと胸を張れる反面、夢に対しての推進力が鈍化しているようにも感じるのです。

当然、難易度?というのか、その夢が持つ到達点が過去に比べて雲の上になっているのは言うまでもないですが、”質”としてみた時に遥かに「他人の事」が夢の中に混在している率が高いのです。

それは、自分だけの努力でどうにかなる範囲ではなく、誰かを巻き込みながら、誰かの幸せとクロスオーバーしながらでないと達成し得ない内容になってきているのです。

先に挙げた「大きなステージのある家」は500坪程の敷地の中に、200席の観覧席と、20mの間口を要した屋外ライブ会場の事です。

50台程の駐車スペースは、周りの畑などを借りる計画で、居住スペースには控室にもなるゲストリビングを用意しています。

概算では億を越える費用が必要ですが、いつでもイベントができる自由度に越した事はありません。

ホームパーティーレベルで、ある程度のイベントが可能な自宅です。

10年前にこのビジョンを夢に描き、今こそ必要な時に用意できなかった事。

周りの状況の中で、電源スイッチをOFFにするしかなかったマシンのように、誰かの夢や笑顔を乗せるステージを用意できなかった事。

それに気づいた5月の頭に、自分のちっぽけさに堕落したりもしました。

だからこそ、夢に対する推進力を強く持とうと。

誰かが喜ぶ夢を語ろうと。

もう一度決意できた自分に拍手を送るように、また一歩ずつ前に進もうと。

こんなにも、彼らの笑顔に助けられるとは思ってもいなかった。

ただ一枚の紙切れ、”開業届”がこんなにも自分を高め、苦悩させ、ポジティブにさせてくれるなんて思ってもみなかった。

ハッキリ言ってその時は、見栄や自信だけで飛び出した割合の方が大きかったと今では思います。

間違いなく、仕事は施しに比例し、施しは悩み事の中にあります。

悩みの根本解決が結果だとしたら、まだまだ私が皆さんにさせて頂ける事は計り知れないのかも知れない。

対処的な施しならいくらでもできます。

ダンスで言えば、”上手くさせる。”や、”プロにさせる。”と言った事でしょう。

でも、本質的な意味での”幸せ”には、まだまだ私自身遠く、誰かを幸せにする事でしか到達できない場所にあるんだと感じます。

幸せは、人との距離(間)の中に存在すると信じています。

ハグされれば嬉しいし、落ち込んだ時肩を叩いてもらうだけでも助かる。

手を繋いでもらったらスキップして、恐怖を感じたらすり寄れる。

そんな時に幸せはやってくるんだと信じています。

まだまだ未熟な私たち人間は、人間である以上誰かを求め、求められる存在でありたいと願います。

目線だけでもいい。

誰かと繋がれるステージさえあれば、ほんのちっちゃな幸せを生み出せる存在。

それが、ダンサーであると再認識させてもらったこの頃です。

私たちダンサーは社会に必要な存在である事をここに宣言し、未来をまた作っていきます。

明日は、DownUP!!…だった日。

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

明日の17日は!!!

熊谷最大のクラブダンス発表会!!

DownUP!!vol.4!!

ワー!!!!!!!!!!

・・・

って言いたいとこですが。

開催できません。

みんなの気持ちに添えない形になっている以上、申し訳なく思っています。

「早くみんなと一緒に踊りたい。」

そんな声を、多方面から聞きながら今という時間を過ごしています。

DownUP vol.3は、超ビッグゲストRickyさんをお招きし、盛大に開催しました。

今回も、ゲストやスタッフ、日程までが決まった中での延期を3月の段階で出させて頂きました。

当初の延期日程は6月末としていましたが、多くのクラスが振付完成前に自粛に入らざるを得なかった現状から、再延期をする決断をしました。

現段階では延期日程の設定すら決められない状況にあります。

それでも、各先生達はどうにかしてメンバー達がステージに上がって欲しいと、打ち合わせなしに口にします。

3月の上旬あたりから、関係する先生達やお世話になっているダンサーと「コロナ対策委員会」といったLINEグループを立ち上げ、早々と情報交換し対策を練り実施してきました。

まだ見えない部分や、捉え切れていない予想図はあるにせよ、それぞれが前向きにこの問題と向き合い、ただ純粋にダンスとステージを望んでいる気持ちを共有しています。

それは、メンバーからのダンスを待ち望む声や保護者からの温かいメッセージ、何より仲間同志のツナガリを再確認し、ダンスはただの娯楽レジャーの枠を越え、孤独解消の欠かせないインフラになっていることを実感しているこの頃です。

この春、世界中のダンサーが一人残らずステージを踏まずして過ごしています。

今後見越した未来予想図の中に、実行可能な妄想があります。

世界中のダンサーが一堂に会し、世界同時に開催されるダンスのオンラインイノベーションイベントです。

これまでに無い、全く新しい形のイベントが世界のどこかで展開される。

それは、アメリカなのか、中国なのか、チリなのか、スイスなのか、エチオピアなのか、日本なのか?

全くもって分かりません。

だけど、きっとそんな未来はすぐそこにあるような”夢”が頭と心の中を駆け巡るのです。

この状況の中で、世界は小さくなり、言葉の壁は消え、同じ習慣を手に入れます。

そんな時、同じステップを踏む異国の他人が目の前にいる時に、あなたはどんな気持ちになりますか?

私自身がこの20年間で体感してきたこと。

それが、たった一瞬で感じられてしまうスピード感たっぷりのダンス世界に、立とうとしている若きダンサー達にエールをお願いします。

先人の皆さんが紡ぎ上げてきたこのダンスカルチャーは、1世紀の時を越えて世界のコミュニケーションツールになるのだろう、いや、もうなっているのでしょう。

Rickyさんが昨年言っていました。

「これからだ。」

と。

ニューヨーク アポロシアターで奇跡を起こしたのが日本人ならば、これからのステージにも日本人のダンサーは必要でしょう。

そして多くの人の勇気になるのです。

その勇気をもらった私が、また勇気を送れるように。

DownUPは、そんな人の想いを繋げられるイベントでありたいと、関係するスタッフ、メンバー、先生達みんなが作り上げるイベントです。

水の量

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

今日のオンラインレッスンで水の話になったので、その補足をしますね。

話の始まりは、部屋に扇風機を設置した生徒を発見して、「暑い?」と声をかけたところから始まりました。

家での運動は、環境によって室温や湿度が違うので、その場に合った設定が必要になります。

なぜ、室温をコントロールする必要があるのでしょう?

それは、体温調整がキーワードになってくるのですが、今回は”脱水”する事に着目した会話になりました。

「汗かくから。」

の答えに、「お水を1日にどれだけ飲むでしょう?」と問題を出しました。

・・・

「2.3ℓ??」

と返してきた男の子に

「正解!!」

と答えました。

適当な数字を言ってきただけにしては、いいところついてます( ✌︎’ω’)✌︎

もっとも、成人の体から毎日排出される水の量は、約2.5ℓとされています。

呼吸や、尿、そして汗がそれです。

一日水を飲まなければ、毎日2.5ℓ=2.5kg体重が減っていく計算になりますね。

わずか2%の水分不足でも脱水症状を起こすこともあります。

単純計算だと、体重100kgの人だったら1日で、50kgの人なら半日で脱水症状になるのです。

さらに、大人の体は60%が水分ですが、子どもは80%が水分でできています。

大人よりも、子どもの方が水分が必要ですね。

ただでさえ、遊びまわって動くのに、プラス運動するとなると水分摂取は超重要項目となります。

ですから、大人では2.5ℓ以上が必要な水分摂取量となります。

2.5ℓと言ってもピンとこないですから、私の800ml入るマイボトルを見せて「これ何本分?」とまた質問してみました。

「割り算かあ・・・」

と言いながら沈黙が続き、「3.?????」と答えがやってきました。

「そう!3本ちょっと!」

という、アバウトな正解にまた沈黙。

の後に、「飲めないよ〜」

と誰かが言っていました( ^ω^ )

毎日3ℓ程度水を持ち歩いて10年経ちますが、最近では全く苦にならなくなってきました。が、最初の頃は飲み忘れたり、飽きたりと大変だったのを思い出します。

一気に飲もうとすると”水中毒”になると聞いたこともあり、チョビチョビ飲んで10年です。おかげさまで水中毒になることもなく、水以外ほとんど飲料水を買わずに過ごしています。

スーパーモデルは5ℓも水を飲むようですが、私も夏場はスーパーモデルになれるようです^ – ^

体の半分以上を占める水が新鮮でキレイなら、体もすこぶる調子が言いわけです。

起床時や午前中、運動の合間には必ず水を横に置いています。夜はなるべく避けるのもポイントです。

ここまで言っても、水なんか飲む気にならないでしょうが、飲んだらいい事ありますよってだけ言っておきます。

逆に、運動中に砂糖水(売っているもの全て)を飲んでいるのを見かけると、止めたくもなりますが”ストレス発散しているんだな!”と捉えさせてもらっています。

それをインストラクターが飲む姿を見せることを、弟子にならめちゃくちゃ怒ります。

むしろ、一番最初に言っているのです。

20年近い昔、レッスンを受けていた時に「コーラ飲むと元気になるんだよ!!」と先生が言っていました。

それを受けて、周りの生徒はコーラをレッスン中に飲んでいたのです。

当時、私は財布にお金が入っていなかったので買えませんでしたが、先生が言っているならそうしたい!!って考えていました。

実際は、水分が抜けた体に一気に糖質(ブドウ糖類)が流れ込むことで血中糖度が格段に上がり、”ハイ”になっているだけの状態を「元気になる!!」と言ったのでしょう。

アブナイ表現ですが、体内ではそういった反応が起こっているのです。

だから、弟子には怒ります。

「知らなかった。」

だいたいの弟子はそう言います。

私もそうでしたし、今も知らないことは山ほどあるでしょう。

だから、言ってくれる誰かがいることが宝だと心の底から思うのです。

言われなくなったらどうするのか??

それは、そんな場所に自ら足を運ぶ以外ないでしょう。

水は色んなことを教えてくれます。

たった9%。

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

タイトルにもある、”たった9%。”

これは、なんの数字だと思いますか?

答えは、OECDが加盟国37ヶ国を対象に調べた「9-10歳 学校の課題のためにデジタル機器を利用しているか?」の日本のデータです。

トップのオーストラリアは70%で、平均値は50%あたり。

当の日本はダントツの最下位の9%。

私の友人でNewStyleHIPHOPの師匠のKentは、ハワイで活躍するダンサーです。

ハワイ州は外出が抑制されている事に加え、島国であることからかなり厳しい現状がSNSから伝わっています。

そんな中、彼はオンラインを見事に使いこなし、毎日のようにオンラインレッスン を多数の生徒と成功させています。

そのクオリティーは、見ている私が目標にするぐらい鮮明で輝いています。

もちろん、日本とそれを比べる気はさらさら無いのですが、今現状で行われている日本のオンラインレッスンとは教える側も学ぶ側も全く環境が違うのです。

冒頭で述べたように、国内の基礎教育でのオンライン環境でさえ世界の足元にも及んでいない状況で、個人経営スタジオが何が出来るわけでもありません。

ですが、進まずして先は無いのも事実です。

「またリアルに戻ったら、オンラインは必要なくなる。」とでも言いたいがごとく、自治体や政治はオリンピックの派手な演出に活路を見出していたでしょうか?

リアルが無くなるなんて思いませんし言いませんが、OECDがなぜこんなデータをお金と人力をかけて集積したのか?を考えると、合点がつくところが見えてきそうです。

時代の変容期は、どうしても画一化をしたくなるようで、これまでのアイデンティティーを負の資産と言いたくなったりもします。

ですが、私としてはリアルでしかできなかった事がものすごく貴重に感じ、リアルでできなかった事が可能性に感じるのです。

どちらもハイブリットに捉え、双方向からのアプローチが必要になる時期になるのではないか?と捉えているのです。

例えば、仲の悪いどちらかに加担した後に、相手側の言い分に納得してしまうことは誰でもあることでしょう。

どんなことも、双方に光と影が存在するのです。

それを補完しながら生きてきたのは紛れもない”人類”です。

今、そんな時期がやってきているように感じます。

“たった9%。”

“たった10%。”

にする事が、果たしてどんな可能性があるのか?

もしかしたら、家庭で悩むあんな事や、健康で悩むこんな事、人間関係で悩むそんな事まで、解決出来るシステムを得る事が出来るかもしれません。

ただし、変化はいつだってドラスティックに訪れます。

黒船来航や条約締結など、今までの当たり前がありがたく感じるようになる。

それも一瞬で。

まるで、誰かの死を目の当たりにしたときのように。

こうしておけばよかった。ああしておけばよかった。

色んな思考が頭の中を行き来するでしょう。

だから、今に生きながら、過去に感謝しつつ、未来の準備をする。

数年前、ある女性からこんな言葉をもらいました。

「あなたがここに来たことに意味がある。」

新しい場所に自ら進んだことを称賛してくれた言葉でした。

今も彼女は天国から見守ってくれていることでしょう。

心から尊敬し感謝します。

I would like to express my sincere condolences.

Thank you. Kiyo Shinomae.

リズムはメンタルに良い??

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです!

自粛生活が長引く中、どうにか自分や家族の健康レベルの引き上げがしたい!って毎日努力してる方が多くなってきていますね。

医療に携わっている人たちに感謝しながら、自分達にできることを毎日少しずつ全員がやっている事でしょう。

そんな中、欧州などで取り沙汰されているのが「メンタルヘルス」ではないでしょうか?

日本でも例外ではなく、ここ最近メンタルに関わる残念なニュースが報道されているように感じます。

非常事態の中、メンタルヘルスの重要性は皆さん周知の通りでしょう。

WHOが定義している「健康の定義」では、

  • 身体的健康
  • 精神的健康
  • 社会的健康
  • 霊的健康

の4つがハッキリと定義されています。

このバランスが整ってこそ健康でいられるのです。

その中でも”精神的健康”は、自身でコントロール可能な分野になります。

しかし、それ故に難しいのが常です。

短調リズム性運動

連続した一定のリズムの中での運動を”短調リズム性運動”と呼びます。

簡単なところでは、食事の咀嚼や歩行、制御された呼吸などがそうです。

実はこの運動が、メンタルに大きな影響を及ぼしている事があるのです。

幸せを感じたり、落ち着いたりする一つの要因に脳内の神経伝達物質”セロトニン”の分泌が挙げられます。

セロトニンは、”トリプトファン”という必須アミノ酸(体外摂取)から合成されます。

まず、食事でトリプトファンをしっかり摂取する事が大前提ですので、肉や魚などを率先して食べる事が大切です。

カロリーなどが気になる場合は、植物性のプロテインを用意するのも手でしょう。

このリズム運動を行う事で脳内のセロトニン濃度が高くなる事が分かっています。

その他にも規則正しい生活をしたり、日光を浴びる事でセロトニンは分泌されます。

自分でコントロールできることとしたら、リズム運動が最適ではないでしょうか?

リズムといえば「ダンス」でしょう!!

しかも、交感神経を刺激するような激しいリズムではなく、ゆったりと安心するようなリズムで副交感神経を優位にしていく事が大切です。

例えば、アフタービート(一拍置いたテンポ)で揺れるように踊るスウィングや、筋肉を軽く弾くように踊るポップは、一定のビートを感じながらゆったりと動く事ができます。

ダンスの基礎と知られるダウン・アップでも同じような事が言えるでしょう。

もっとも、音楽に揺られながら体を動かすことは、学術記事がなくても気持ちいいことは私が一番知っています。

さらに、一緒に躍っている仲間や参加者がいることで、自然とコミュニケーションが起き、笑いあったりすることでNK細胞が活発になることも期待できます。

幸せで楽しい時間。

それがダンスなのです。

メンタルを整えるのに、ダンスのリズムを使って毎日清々しく過ごしましょう。

スタジオでは毎週土曜日に、ヨガとダンスを通して本庄の皆さん、フォローしてくれている皆さんに”健康二次被害”を予防する運動動画をフェイスブックにて無料配信しています。

ページ下部にSUP!!のフェイスブックが表示されていますので、いいね!して一緒に健康ステイホームしましょう!!

また、オンラインでのレッスンも2クール目を迎え好評頂いています。重ねてチェックもお願いしますね^ – ^

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SUP!!自信のオンラインレッスン

皆さんが健康であることを切に願います。

これから…しかない!

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです!

やっと先が見えてきた。

以前から見てきた少し先の未来。10年ほど前から教えてもらっていた今が、今日ここにやってきた。

大幅な進路変更があったけど、どうにか行き着く場所。”ダンサー王国”に辿り着きそうな予感がしてきた。

この数ヶ月で、数年先の未来にタイムスリップを全員が余儀なくされた数ヶ月。

まだ時間があると勘違いして、構想段階で目の前の事だけに執着した自分を反省する。

そういえば、あらゆるメンターから同じ話を聞かされていたのを思い出し、強烈に実感した。

まだまだ始まったばかり。

今、全員が同じスタートラインに強制的に立たされ、一斉にスタートの合図を聞いた。

前を向いて走り出したと勘違いした人。後ろ向きに全速力で走り出した人。隣の人のスタートを今か今かと待っている人。スタートの音を聞き逃している人。

あらゆる人がいる中で、誰一人として間違っているなんて分からないし、合っているのかすら分からない。

それが、産業革命。

大枠、今までと同じ物は全くありそうもない。

これまで学んできた知識はおろか、絶対的だった経験さえも全くフェーズが違う。

今はまだ、序盤の”じょ”だから、大きく変わりはしないが、恐らく半年たったある日に、もう戻れないほどの違う景色を見ることになりそうだ。

それが心地いいものなのか?そうではないのか?

は、その時の感情によると思う。

村の時代を生きるには、村を知る必要がありそうだ。

18歳で村を出て18年と10ヶ月。

村で過ごした時間を超えたのは、長かったのか?短かったのか?

その5年後には、東京のありとあらゆるクラブでショーに出た。当時、聖地と呼ばれた渋谷の大きなクラブには大体呼ばれて出たと思う。

村に住んでいた頃には、全く想像もしない未来だった。

その後、Rickyさんに出会い、Kentの指導をもらい、ダンスの概要がくっきりと見えてきた。

そんな頃に、スタジオを持ちたい気持ちから、経営者のメンターに恵まれ、ゼロからではなく、マイナスから多くを学ばせてもらった。

「どんな時代も、キミの姿勢だ。」

難しい事なんか一つも無かった。

むしろ、禅問答のようなたった一つの問いに、飽きたりしたこともあった。

だからこそ今、雲で霞んだその先に、たった一つの背中がおぼろげに見えてきた。

これから起こる事。

それは、それぞれが見ようとするべき事柄なんだと思う。

もしかしたら、人それぞれ違った未来があるような気もする。

全く違った未来に突入している今。

試されるのは、自分の足を進める指針。

人生の中間決算を。

これからをどう生きるのか?

特に全ての指導者は、それを見据えている必要がある。

もう一度言うけど、今までと同じものは全くありそうもない。