ホメオスタシスとプロパガンダ

人は危機に直面すると、どこかにあるであろう安心材料にすがろうとする。

理由が分かれば、まるでその全貌が見えたようでなんとも言えない安心感に包まれる。

では、その確固たる理由が見つからない場合はどうだろう?

きっと、不安になり全てが偽りに見えてくることもあるだろう。

その結果、判断は偏り自分に利のある方向性にしか目を向けなくなる。

それが正しいのかどうかは二の次として、多角的な見方ができなくなる。

人は、危機に直面した時にのみ自分の生きてきた過去から今を選択し未来を生きなければならなくなる。

風邪をひくと大抵の場合発熱しますね。

熱を出す事で体内のウイルスや細菌を死滅または不活化させる効果があり、人の持つ免疫作用の一つなのです。

体内のそれらが弱体化すると、熱は不必要になるので平熱に戻ります。普段の自分に戻るのです。

これを”ホメオスタシス(恒常性)”と言います。

脳科学でもこの定義は基本とされていて、不安を感じると安心できる自分に戻ろうとするのです。

パニック状態なら尚更で、ウソをつきやすい状態になるのもこの時です。

ウソをついているかどうかは他人にはわからないので、ウソとは自分しか知らない真実があることを指します。

大事なのは「今ウソをついている。」=「今パニックになっている。」という事実を自覚できているか?ということです。

先にも述べたように、パニックは不安の進化段階であり、普段の自分を逸脱した状況です。

どうにか普段の自分に戻りたくなり、その場を取り繕う。

ウソをつくとは、自分の限界点を自分自身に教えてくれているチャンスなのではないかと感じます。

しかし、そんなチャンスに気がつかずさらさらとウソを並べてしまっている段階では、全くもって自分は気がつきません。

さらには人を巻き込む場合が多いので、ますます後に引けなくなるのです。

最初は心痛めながらつき始めたウソも、回数を重ね嘘をついていることすら気がつかなくなる。

最後には、それがコンフォートとなり思ったように事が運んでいると思い込むようになります。

そかからが、”プロパガンダ”の始まりです。

プロパガンダとは、特定の主義、志向に偏った偏向的な扇動のことですが、まさか自分がそんなことしているとは自分を含め誰も思っていないでしょう。

有識者なら特にその気が強くなるでしょう。

「私が常識を作っているんだ!プロパガンダの何が悪い!!」

という調子です。

その通り、プロパガンダの良い悪いを話しているのではありません。

誰しもがその可能性を秘めているのです。

私自身、プロパガンダを作り出し、その中で生きているのでしょう。

しかしながら、自分の人生他人の偏向的価値観を押し付けられて生きていくのは、少々息苦しい感じがします。

昨今の社会情勢の中で、気づくことが沢山あります。

偏向的になるのは、不安を感じるのが最初だと書きました。

そして、不安の中に安心できる材料を探すのだとも書きました。

そこに自分の求める、偏向的な思想に触れたらどうなるでしょうか?

まるで両思いになった恋愛のように、みるみるうちに惹かれあっていくのです。

しかし、その人にとっては真実ですが、思考統制をした方としてはウソなのです。

それにある瞬間から気がついたとしたら、そこから過去は音を立てて崩れ落ちていくのです。

私には、一つの信念があります。

「人は人によって磨かれ人となる。」

どんな人との出会いでも、自分を磨く研磨剤として私を輝かせてくれるのです。

しかしそれは、破壊的であり裏切り的な事例をもってして実現します。

問題は、それに気づくことのできる自分でいられるのか?どこかでウソをつき無いものとしていないか?

そんなチェック機構が自分自身の中で形成されていくこと。

人は常に安心したいし、思った通りであって欲しい。そういう願望が発展を生み出してきました。

しかし、あと数ヶ月先には技術的な発展に加えて、人間的発展を試される世の中がやってくるように思えて仕方がないのです。

一貫した思考にのみ、たった一つの結果が与えられる。

質と量

質を求めると量が欲しくなり、量を求めると質が欲しくなる。

両者はいつもバランスを必要とする。

できないステップがあるとしよう。そして、そのステップを心からやりたい!と思う。

そんな時にはまず、質を求めるだろう。

お手本のステップのようにスムーズに軽快に…

しかし、実際にはぎこちなく上手くはできない。

100回もの練習を繰り返して、やっとの思いで1回できるようになる。

質には量が必要だ。

できるようになったと言っても、5回に1回、いや、10回に1回できる程度で毎回完璧にできるわけではない。

すると今度は、数を制限して10回やったら10回できるようになる練習をするのかもしれない。

できる数を増やすにはまた違った考え方が必要なのだ。

1%を目指すのと、100%を目指すのは全く違う。

だからこそ、一度登った山を降りなければならない。

最近、こんな言葉を目にした。

「千日をもって初心とし、万日を以って極みとする。」

素晴らしい言葉だ。

10,000時間の法則は、ダンサー達によく話してきた。

何事も10,000時間を経過できればプロ化する法則。

1日9時間やって約3年。

プロと呼ばれてからの30年間、プロでない時の熱量と行動力を維持したまま進むには、更なるパワーと使命感が必要だ。

あの時、あれだけやっていてよかった!と思える指標が、極みの境地への道標となる。

まだまだ20年。

1/3しか残されていない時間をこれからどう使おうか?

極められるかどうかは、最初の量にかかっている。

質は量に内包される。

それがバランスがいい状態である。

自分への戒めと、再確認の為ここに忘備録として記す。

2021.7.15

ゴール設定と短期的課題

①ゴールの設定

②現状の確認

③装備のアップデート

④1/2・1/4設定

⑤1歩目の方向性

⑥ゴールまでのイメージング

⑦バッドシナリオへの対応

⑧行動

※①〜⑧を時間をかけずにスピーディーに繰り返し行う。

失敗は成功の元ではない。

失敗に成功は内包される。

全ての事柄が必要事項であり、そこから逃れることはすなわちゴール不到達となる。

それでも構わないのなら、そんな程度のゴールであり、特筆自身の人生に影響を及ぼさないと考えられるので今すぐゴールの設定を大幅に変更する必要がある。

課題を問題と捉え、今の自分で解決しようと試みる姿勢こそが負の連鎖の入口である。

ゴールだけを掲げ、短期的課題を無視する姿勢こそが負の連鎖の真髄である。

己に嘘をつき、その姿にさえ蓋をする自分自身こそが負の連鎖から一生抜け出せないブラックホールである。

今、それらに気づいたのであれば、遂に自分の人生のスタートラインに立つ事ができる。

しかし、そこから自分で決定したゴールを見れば、今まで以上に遥か彼方に見え、足がすくむのかもしれない。

それでも一歩を踏み出せるか?

それほどまでに、自分のゴールに辿り着きたいか?

好きなことを語るには、好きじゃないことに情熱を傾けた瞬間から始まる。

好き=自分

それ以外=他人

どれだけ自己犠牲を進んでできるか?

行動=メリット

自己犠牲に自分のメリットをどれだけ見出す事ができるか?

自己犠牲=メリット

このロジックが成立した人のみが、ゴールへの行動の一歩を踏み出せる姿勢が整う。

短期的課題とは、目の前の嫌なことにどれほど真摯に打ち込み、己の命を投資することができるか?

こんなに簡単なことなのに、人はいちいち確認する必要がある。

自分への戒めと、再確認の為ここに忘備録として記す。

2021.7.4

8.ダンスは逆算

昔、監督がこう言っていた。

「今日何をするかを今決めているヤツは占い師と一緒だ!」

高校バレー部時代、練習メニューの相談に教員室に行った時の一言だ。

当時は全く理解できなかったが、そう言い放った監督の背中に今では感謝できる。

時折、監督はタイムアウト時に行き当たりばったりの展開に”占い師か?”と鼓舞していた。勝敗問わずにだ。

要は、「決めてから動け。」ということなのだろう。

今の行動の連続性に思い描いた未来はやってこない。

高校生のCobAにそれを理解するのは困難だった。

“インプロ”という幻想

即興で物事を成す事を”インプロヴィゼーション”と言います。

ダンスで言うところの”フリー”です。

フリーは、まるで今考えたかのように踊り、事前に準備してこなかった事を美徳に思う節があります。

よく「降ってきた。」と表現することがありますが、脳科学としては有り得ないのが定説です。

もしくは、”テキトー”にと言う言葉が合っているのかとも思います。

まさか、ダンスの先生が言う「今考えた。」とか「今初めて曲を聞いた。」と言った言葉を信じてはなりません。

本当に今、その場で行ったのだと言うのなら、それは詐欺だと思ってもらって良いでしょう。

なぜなら、人は想像できる事以外はできないのです。

思ったように動くことは、過去の集大成であり、五感を使った知識なのです。

実は、CobA自身も若い時に、即興性の言葉を過剰に評価していた時期があります。

それはなんとも楽で心地良いのです。

レッスン前に曲を決め、聞いたまんまにフリを作る。

これだけ聞くと、カッコよく思えるのですが、一定期間そのままだと「あれ?この動きこの前やったな…」とか「どの曲も同じに聞こえるな…」とか、まるで五感を失ってしまったかのような感覚に陥るのです。

その原因は、単純なインプット不足でした。

人はやはり、努力の値がそのまま表に出るです。

例えば、フリーの途中で止まってしまう場合。

手先は動いていても、リズムやグルーヴが無くなるようなムーブはよく見かけます。

実際にそれを行なっている人は”踊っているつもり”なのでしょうが、見ている人は”止まった”と表現するでしょう。

創作ダンスや表現運動なら、立派な表現の範疇ですが、ストリートダンスで止まってしまう(動いていない)のは、音響トラブルで曲が止まってしまうことと同義なのです。

もし、ダンスの中に止まってしまうショーを感じた時にはストリートダンスの枠を外して見ることをお勧めします。

今の話にも出てきたように、リズムとグルーヴはストリートダンスの根源でありどの時代でも社会が求めたソーシャルダンスなのです。

曲が終わる時はすなわち、パーティーの終わりでです。

ダンスを踊るときに最も大事なのは、終わりを決めることでしょう。

拍手のもらい方を決めれば、その前の動きが決まるようにダンスは逆算で物事を進めていきます。

その為にどうするか?をいちいち行動する前に予測していく。

基礎だってそれによってだいぶ違うことになるでしょう。

見た目は一緒でも辿り着く場所が違う。

キッズダンスでいえば初めてダンスを教えた先生がその子の将来を決めるのです。

昔、師匠から言われたことがあります。

少し上手に踊れる女子高生を指して、

「あの子の前の先生は男だろ?女性らしく踊れるようにしてあげなかったから今すごく苦労している。ダンスがわかっていない先生にあたってしまったんだな。。。よく頑張って上手くなったよ。」

と、少し呆れたように言っていたのが印象的でした。

師匠が言いたかったのは、きっと経過点で価値決定をしないことだと感じました。

ダンスは続けたもん勝ちです。

続けると言うのは、ゴール設定のことで単純に続けるだけではなく目的を持って継続することを言います。

しかも、それは個別である必要がある。

人の思考や好みは違いますし、その上体型だって変化します。

男女差もありながら、生活環境だって影響してきます。

とかく、キッズダンスは子供の判断力を絶対的な力を持つ先生が影響を及ぼしていくのですから、押し付けやエゴがあっては先に述べたようになってしまいます。

ストリートダンスは、リズムとグルーヴといった不確定要素が絶対的カギになるダンスです。

人の好みによるのです。

芸能界や、学生スポーツのように期限付きの消費ダンスではそんなこと考えている方が無駄だということは、自分自身嫌というほど経験してきました。

そうではなく生涯を通したライフダンスでは、”人がどう思うか?”の前に”自分がどうでありたいか?”が問われてきます。

先生と呼ばれる人は、その子の未来予想図の中にどうダンスが組み込まれたら楽しくなりそうなのか?を多角的に予想できる経験値と創造性が求められます。

逆算で求められる答えは、とても具体的で現実的です。

そして確実的なのです。

逆算することは、非現実的な未来予想図から、目の前の確実な一歩を踏み出す為の公式と言っても過言ではないでしょう。

曲げられないアイデンティティ

こんばんわ!

「ダンスを力に!!」執行部のCobAです。

春高バレーが始まりましたねー。

何を隠そう高校時代は、全国制覇を目標に当時強豪ひしめくある県で一二を争っていた過去があります(^ ^)

残念ながら県大会ではオール準優勝で全国への切符を喉から手が出るほど欲かったのを昨日のように思い出します。

なんでそんな話をしているか?というと、ニュースで春高バレーの特集が始って県大会決勝の様子が見られるサイトを見つけ、ふとクリックしたところ当時の監督がコーチとして映っていたからです。

数年前、同学年の結婚式で再会した監督は、定年を迎えるからもう辞める。と話ていましたが、ベンチに座るその背中は当時のままで恐怖そのものでした。

さらに驚いたのは、決勝両校の監督が同世代のライバルと伝説の先輩になっていた事です。

結果は、フルセットの末監督の高校が負けてしまいましたが、やっぱり時代を越えても同じような共通点がありました。

まず、7年間同じカードで決勝を戦い負けていること。

どうしても越えられない壁がそこに存在する。

万年2位の自分達からすると、あのユニフォームを見るだけで武者振るいがして、「今回こそは!!」という気持ちになったものでした。

しかし、その気持ち自体が体を硬直させ、いざ決勝のセンターコートに立つと思うように体が動かなくなるのもあるあるでしたが…

越えたくても越えられない壁がすぐ側に存在することは、自分を奮い立たせる大きなオブジェになっていたようです。

2点目は、監督の高校は県内の生え抜き選手を使っていた事です。

対する優勝校は県外から選手を呼んでいました。

それは、当時の構図も同じでよく監督は、「県内選手で一番だ!」と負けた時に励ましてくれました。

その時からか、土地を大切にする意味が理解できた気がしています。

3点目は、絶対的エースがいない小さなチームだということです。

大体の強豪校には絶対的エースが存在します。

「困ったらエースに渡せば決めてくれる!」そんな風に強いカードを一枚でも持っているチームは強いのです。

もちろん、それ以外の選手が全国クラスで有ることは当然の事ですが、それを遥かに越えて誰もが頷くエースがチームの窮地を救ったりするものです。

しかし、監督のチームには絶対的エースがいないように思いました。

当時も同じように絶対に決めてくれるエースが存在せずに身長もセンターをのぞいて170cm台と小さかったことも含めて、「一発で決めようと思うな!全員で拾いまくって相手が崩れたところを狙え!」とタイムアウト中に鼓舞していました。

※拾う=レシーブ

その分基礎体力、基礎技術練習は他校の倍以上はやったと自負しています。

練習を効率的に行うタイムマネジメントも強烈でしたがこの時に初めて学びました。

さらに、レシーバーだったけど部長だった自分には、頭の中身まで使ってチームに貢献するように叩き込まれました。

そのおかげで、大学に進学してからはキャプテン兼監督としてチームのマネジメントも達成できたと感じています。

結局、当時の最高成績は北信越大会3位、全国出場校2校撃破でしたが、そんな事以上に大切な物をもらったような気がしています。

現在のスタジオのキッズダンスの指導方針と、今お話したことが見事に合致しているのです。

集まったメンバーで最善の策をとり、自分一人で考えられることは考え、常に壁にぶち当たりながらも、みんなの力で目標を達成する。

言葉では簡単ですが、高校3年間を純粋に過ごした経験値は、今最高の結果となって発揮されています。

画面越しに、「きっと、この子達も同じよう感じる時が来るんだろうな。」と感じた数時間でした^_^

“部活のプロ”から見て、一般の部活ではできないことをハッキリと身につけていることが分かってよかった。

監督!

ありがとうございました!

2021年明けましておめでとうございます。

この一年が皆様にとってかけがえのない一年になりますよう心から願っております。

今年のスタジオは、”NewWind 2021″として、この時代の変革時期に対応していくよう運営してまいります。

これまでとは違った日常があるならば、その中にはこれまでとは違った人生の楽しみ方があるはずです。

今はまだ見えないその楽しみを、皆様と一緒に作っていきたい。

・・・

それを考えると楽しくなりませんか?

もしかしたら、新しい楽しみを自分達で考えること自体が新しい楽しみ方なのかもしれませんね。

今年も、講師・スタッフ8名体制で皆様をお迎えして参ります。

1/4(月)のレッスンからスタートです!!

元気にお会いしましょう!!

20-21 年末年始の休業について

日程:2020年12月29日(火)~2021年1月3日(月)

対象:全てのレッスン

上記の日程にて年末年始の休業をさせて頂きます。

お間違いのないようご確認下さい。

尚、期間中にてスタジオ内の大掃除とレイアウト変更を全スタッフにて行います。

来年の申し送りミーティングについては、各スタッフのボトムアップ形式で行い、メンバーの皆様の状況や意見を鑑みた上、顧問やCEOを含めた執行部にて適宜決定して参ります。

“NEW WIND 2021”

この合言葉の元、地域に新しい風を吹かせる施策をドロップインしていけますよう、メンバーの皆様におかれましては、健康に十分留意して頂くようお願い申し上げます。

今年は特に本当にありがとうございました。

免疫の城

機能解剖学の中では、免疫の立ち位置として複合的に機能するものとしています。

遺体が腐敗したり、カビるのは体内に微細な異物が侵入し作用するからで、生きている間にそうなることは稀です。

なぜなら、体には免疫機能が備わっていて太古の昔からDNAとして伝わってきた生きる術なのです。

例えていうなら、”城”そのものに似ています。

まず、体の外側にある全ての物が”城壁”です。

外からの侵入物を防ぎます。

体毛や皮膚がそれにあたります。

鼻に入った大きな異物は、鼻毛でシャットアウトされます。

ですから、鼻毛を全て抜く事は門や塀が無いようなもので、免疫力を下げてしまいます。

また、今話題のマスクはこの位置にあたります。

門や塀を助けるように外からの大きな埃などはキャッチします。と同時に、中からの不必要物も外に出すことができません。

実は、鼻毛もそれと同じですが城内のゴミ出し当番のような役割をする粘液・粘膜が鼻毛ではキャッチしきれない小さな異物を外に出してくれるのです。

しかし、マスクはそれすらもキャッチしてしまいます。

城で出された生ゴミを外に出すことができずに、玄関に溜まっていくようなイメージでしょうか?

当然ですが、この粘膜系の免疫は優秀でだれかれ構わず外に排出してしまう力持ちなのです。

くしゃみやせきがそうですが、今この時世に思いっきりくしゃみをすると”迷惑がかかる”ような感覚に駆られます。

それを我慢した瞬間に、生ゴミが今日も自分の体内に溜まっていくのです。

でも、大丈夫。

敵の侵入を城内に許しても、多くの仕掛けが敵を苦しめるようにできています。

まずは、消化器官に多く見られる繊毛です。

「バカ殿様」のワンシーンでよく見かけた、階段が滑り台のようになるシーンを思い浮かべてください。

まるでエスカレーターのように、繊毛たちはウイルスなどの異物が体内に侵入しても、細胞に届く前に入り口まで押し返してくれるのです。

もちろん、非常に小さな機関なので生成されるプロセスが重要になります。

良品を作るには良質な材料が必要です。

きっと、強い城は高級な素材で作られていたのがほとんどでしょう。

逆にそうでない素材で作られた城の床や壁は脆く機能しづらいのではないでしょうか?

もしかしたら、そんなに強く無い敵でも簡単に侵入を許してしまうかもしれませんね( ^ω^ )

そんなことを悠長に言っている暇もなく、敵はふすまの向こう側までやってきてしまいました!

それでも大丈夫なんです。

ふすまには常時鍵がかかっていて、許された人しか部屋には入れなくなっているのです。

それが、細胞膜です。

細胞膜の主成分は高性能な脂質で、細胞内に取り込むかどうかの判断をしています。

しかし、この油の原料が狂ってしまっていれば、万事休す。

どんな敵でもふすまを開けてしまうのです。

とその刹那、最強の刺客が到着するのです。

マクロファージ・ミクロファージ・NK細胞です。

彼らは、とにかく何でも食べてしまう特攻隊です。

とにかく攻撃しまくり、相手の形や技などの情報を本部に伝えます。

一通り敵の情報が収集できると、キラーT細胞を始めとする精鋭部隊が結成されるのです。

この時にやってくるB細胞は特に先進的で、飛び道具を使ってウイルスを攻撃します。

それが抗体です。

この抗体免疫は、その後に情報を残すので次回同じ敵が入ってきた時に備えて準備を整えることができるのです。

要は、攻撃されただけ強くなるのがB細胞なのです。

他にも、補体やインターフェロンなどがあります。赤ちゃんには母乳があるのでそれで免疫を支えている側面もあるのです。

これらの免疫系をすり抜けて細胞内に入り、細胞内で増殖し、また細胞外へ出てを繰り返す。

この状態に陥った時のことを感染と言います。

要は、完全に城が落ちた時のことです。

これだけの免疫系をひっさげて日々生きている私たちの城は、そう簡単に落とされない気もします。

が、落とされるのです。

なぜか?

それは、私たちが私たち自身の城に傷を付けているからでは無いでしょうか?

傷ついた皮膚の治りが遅くないか?

誤った美容概念にとらわれていないか?

何かに押し込まれ、制約されている時間が長くないか?

偏った食生活ではなく、栄養バランスよく旬なものを食べているか?

狂った油や、酸化した油を毎日のように摂っていないか?

化学物質や薬で、体が治ると信じていないか?

体温を上げる努力をしているか?

睡眠を回復のためにしているか?

食事は自身の体を作る材料の入庫時間だと思っているか?

毎日笑って過ごしているか?

。。。

多くの人が免疫を既に100%持って成長してきます。

その数字を維持するか?減らすのか?

自分の城を壊すのは、自分です。

壊れた城の形だけ繕うよりも、壊れない城の作り方を教える方がいたってシンプルで効率的です。

対策は、効果を伴い意味を成します。

メディアや浅い知識に流されずに皆さんの本当の新しい生活様式に戻る事に少しでもお役に立てたらと思い書かせて頂きました。

重症になられた全ての方の1日も早いご回復をお祈りしています。

SUP!!単独発表会”Identity”開催レポート

お陰様を持ちまして、去る11月22日(日)本庄市民文化会館にてStartUP!!studio単独発表会”Identity”を開催致しました。

スタジオオープン4年目にして、時期早々ながら単独発表会を開催できたのは、協力関係にあるダンサーの皆さん、そしてスポンサーの皆さんのお力添えがあっての事だと感じています。

この場を借りて御礼申し上げます。

現在の状況の中で、発表会を開催するに至っては容易にできた部分とそうでなかった部分が混在したオーガナイズとなりました。

容易だった点としては、8月に開催した”ENERGY”でのノウハウをそのまま生かし、応用できたことと、キッズダンサーの皆さんの笑顔を見ていた事です。

彼らの未来には多くの可能性を秘めています。

それを支えるのは、今日この瞬間のたった一瞬の積み重ねで構築されます。

“やらない”選択肢は、スタジオとして有り得ず、子ども達の未来を見る力に後押しされたのが成功の秘訣でした。

そこに、8月のHONJO StreetDanceNation主催の”ENERGY”での後援をした経験値が完全に生きていたと自負しています。

容易でなかった点として、ダンサースポンサーの皆様に理解を得ることが最大の難関点でしたが、約80%強のご家庭の理解を得られたことは私共としてもありがたい限りでした。

1,100席ある地域でも最大級のホールをたった200名で使用することは、会場関係者にとっては驚く程に少なく不安も多くあった事のようでした。

しかしながら、彼らにもコンセプトと想いを話をすると前向きに準備が進んでいったようにも思います。

会場スタッフの皆さんありがとうございました。

業界の中では”ドル箱”と言われていたイベント主催。

状況が反転した今、イベントや発表会は”リスク”でしかありません。

リスクは、この世の中でゼロにすることはできません。

しかし、そのリスクを最小限に抑え、目的を達成する。

それこそが”努力”だと今回の発表会を通して、私たちが得た宝物です。

努力をせずに、達成感など感じることはあり得ません。

逆を言えば、努力しているのに達成感の無い現状があるのだとしたら、それは選択ミスである可能性が高いのではないか?

CobA先生がスタッフに向けて口酸っぱく言っている事です。

「努力の前に選択」

この言葉が、今この状況の中でしっくりくる言葉ではなかろうか?と発表会で踊る、笑顔のキッズダンサーの表情をみて確信しました。

ぜひ、彼らの選択に拍手を送ってください。

次回、春のシーズンにはまた一つ成長した彼らが見れるでしょう!

ともかくうごこう

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

ここ最近、スタジオ単独発表会の準備にほとんど全ての時間を割いています。

中でもこれから中学生クラスに上がる小学6年生の修了ソロムーヴは、ずっと見守ってきたスポンサー(保護者)の皆さんにとっては感慨深いシーンになりそうな予感がします。

それぞれにコンビネーションを渡して、それぞれの解釈と練習度合いに任せる。

これまで一貫してとってきた指導方針の中間考察になりそうです。

あまりにも指導干渉しすぎると、考える力を奪ってしまいます。

ダンスはもとより、生きるには考える事がものすごく重要になることは言わずして皆さん理解していることでしょう。

とかく、身体芸術としての一端を担うダンスと言うカテゴリーでは、知って覚えて動いて考える順序が大前提となってきます。

知る

知るとは、6感を通じて”体感”することであり、脳での理解を越えて府に落とすことです。

ダンスインストラクターが提供できることは、その中でたった二つです。

バーバルキューとビジュアルキュー

残りの4つは個人の努力とセンスで身にしていく必要があるのです。

知ることに至っては、2/3が個人のチャンスであり、干渉によってそのチャンスを奪ってしまうことは、短期的には効力がありそうですが、長期的な発展は薄くなってしまうでしょう。

覚える

覚えるには、反復が必要となります。

知ったことを自ら行動し反復するのです。

行動を起こすには、動機が必要です。

要は”メリット”であり、”デメリット”です。

実は、デメリットでの行動の方が多く存在しています。

例えば保険の加入などやらなければマイナスになりそうな思考は、危機感からそのまま行動に移れるのです。

しかしながら、それだけでは不十分です。

人は幸せになりたくて、人生の歩を進めています。

危険な落とし穴を埋めたからといって、自己実現できるような未来が準備できたか?というとそうでもありません。

デメリットの前提条件として、”幸福”があります。

それは成熟していけばしていくほど洗練され具体化していきます。

人によっては個別化され、「他と一緒では嫌だ。」といった個性が培われていくのです。

ですから、覚える=行動として見ると、知る事以上に干渉することは慎重でなければいけません。

ともあれ、ダンスというと「ああしろ!こうしろ!」と行動の介入をインストラクターが指示するケースが多く見受けられます。

これも、そうした結果の責任を他人任せにしてしまう被管理癖がついてしまう要因となり得ます。

さらには、競争心や非肯定感を生み出す外的モチベーションなど芸術にはもっての他であり、基本的には内的モチベーションの創出がインストラクターの役目となります。

今の時代「教える」と勘違いしている人は多く、「共に学ぶ」精神とは大きく違うように思うのです。

動く

先にも”動く”と表現したことがありましたが、ここでの動くとはアウトプット全般のことを指します。

ダンスで言えば、ショーがそれにあたるでしょう。

この数が次の”考える”の量に値します。

量です。

質ではありません。

質を求めるのなら、その10倍のアウトプットが不可欠です。

今日のレッスンでハッとしたのですが、私が20代の時の話ですが多い時で週に3回のショーをこなしていました。

月に5~10回。イベントのダブルブッキングなど当たり前で、2ヶ月スパンで作品を作り替えていました。

その都度、帰りの車中では反省会(爆笑ポイント)の繰り返しで数日後のショーでの糧となっていました。

作り込んできたチームとフィーリングを前面に押し出してくるチームの差は歴然で、目が肥えた客層のクラブでのショーは後者の方が圧倒的に支持を得ていたのも事実です。

今でも私が好むショーやチームは、作り込まれ計算されたチームではなくその時のフィーリングや会場のバイヴスに合わせて踊るストリートダンスです。

目を合わせコミュニケーションしながら相手を思いやる姿は、上手い下手を軽く越えて、一体感を生み出します。

考える

もうすでに答えを出した通り、行動中に瞬く間に考え即座に行動を変えいつもとは違った動線で、行動した本人自体が感動しながら動き、いつでも新鮮な気持ちでアウトプットしている姿自体が”考える”ことです。

実践です。

予め決められた事など、今の時代ロボットやAIに任せていた方が価値が高く、生身の人間が個性を捨てて鍛錬する事ではないと感じます。

もちろん、全ての基礎には型があり、その型に当てはめながら応用していく。

ダンスだけではなく多くの事柄に当てはまる事です。

芸能界では、制作の性質上で結果主義な部分がある事を知りました。

資本を減らさない為には、マイナスを極力減らす事を、事業を通して知りました。

それに相反するような話になりますが、やっぱり私は人間臭く失敗し不完全でありどんな状況でも楽しめるダンスが好きです。

メンバーと共に、考え、試行錯誤し、楽しめるようなスタジオになっていきますようこれからもリーダーシップをもって支えていきます。

その中間考察のスタジオ単独発表会が今から待ち切れないほど楽しみです。