その理由の多くは、人であることが大半です。

こんばんは!

ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。

霧の中に包まれて、お買い物してきました^ – ^

お買い物と言っても、メンバーが使う衣装の買い出しにちょくちょくアウトレットに行きます。

やっぱり見て触らないと、感性は生まれないですからね(*´Д`*)

この日は、平日の昼間で雨が降っていたので土日の100分の1ぐらいの来場者数で、お店によっては店員さんを独り占めできるほどのVIP待遇です。

接客が良いとディスカウントされたTシャツをついつい何枚も買ってしまうのですが、この日は7枚にとどめました( T_T)\(^-^ )

もちろん、事前に設定した予算内で購入するので、買いすぎる事はありません。

費用対効果を想定しながら、ある種の設備投資をするのです。

簡単に言うと、”喜んでもらう”為にお金を用意しているのです。

お金はしばしば悪者にされがちですが、私の認識ではどちらでもなくただの物体です。

そこに色をつけるのは世界中で人間だけですから、お金を含めた物体は人によって色が決まるのです。

そしてその色は、見る人の過去の経験値から感情が付け足されます。

結果、そのものの良し悪しが決まってくるのです。

例えば、結婚とは書類上の申請です。(だから女性にモテない…)

しかしながら、幸せな家庭を築き夫婦円満に過ごしている人なら「結婚は良いよ。」と話すでしょう。

逆に、残念ながら結婚詐欺にでもあったような経験を持っている方は「結婚なんんかしない方が良い。」と必死で周知するでしょうね。

事象と感情は人によって異なるのです。

では、結婚を”ダンス”に置き換えて話をしましょう。

ダンスとは、音楽をかけた状態で身体活動を行う運動です。(状態のことです。)

そこに良いも悪いもないはずです。

しかしながら、ダンスを続けている人は「ダンス楽しいよ。」と言い、続けなくなった人は「…あのね…」と言ってくれるでしょう。

その理由の多くは、人であることが大半です。

なぜなら、この社会全ての物事には人が介在し、動かしています。

もしも、ダンスが嫌いと言う人を見かけたなら、それに携わっていた人の言動を自分の過去の経験から判断しているということになります。

言い換えたとしたら、「ダンスを踊っていた時にあった人間関係の事例の中で、どうしても嫌なことがあった。」ということになるでしょう。

人は未来的な判断を、過去の経験から引っ張り出します。

過去には沢山の色んな記憶がごちゃ混ぜに詰まっています。

膨大な記憶の整理は難しく、良い感情の記憶も、そうでない記憶も混在して一つの箱に詰まっています。

そして、”だいたい…”で過去の感情を決めるのです。

そのだいたいこそが、自分自身の正体ですが今日の論点はそこではないのでまた別の機会に書きます。

ですが、そんな”だいたいの自分…”は、未来を決めるのにものすごく重要です。

だいたい良くないと決めつけた自分は、未来の判断をどんな風に見るでしょうか?

だいたい良いと決めつけた自分なら、どんな未来を想像しますか?

未来は変わりません。今のままでは。

今を変えるから、未来は変わるのです。

今という瞬間は、すぐに過去になります。

変えるのは、すなわち過去なのです。

過去が変わると、未来は変わります。

過去の構成要因は、先にも述べたように”何をしたか?”だけではなく、”誰といたか?”が大半を占めます。

法的には、犯罪を犯した者は一般と隔離され、他の人にできるだけ影響が及ばないように強制的に措置されます。

犯罪までではなくても、恐怖や不安で人間関係構築している場合は、そこから逃れる行為を拒むでしょう。

今、悩みを相談できる相手を10人考えてみて下さい。

。。。

その方達の平均収入が、5年後のあなたの収入にそっくりでしょう。

。。。

と、10年前にメンターからこっぴどく言われました。

結果、私の場合は時間はかかりましたが少しずつではありますが、彼らの収入に近づきつつあります。

そして、こんなことも言われました。

「もし、収入を変えられるのにが変わらないのであれば、それは自分自身が成長していない証拠だ。」

とも教えてくれました。

もちろん、話を伺った当初は収入を自身で変える手立てなんて持っていませんでしたから(誰かに決めてもらっていた。)無理に近いのですが、自身でクラス運営を始めた瞬間に、収入を変えられる、自分を変えられる予感がガンガンしたのを覚えています。

しかし、現実はそんなに甘くなく数年間はま〜ったく変わらずに、低空飛行を続けるのでした。

そんな時は、時代のせいにしてみたり、誰かのせいにしてみたり、お客さんのせいにしてみたりもしていたと思います。

ひどい時は、「お金の為なんかにやってないも〜ん。」なんて遠吠えしていたことだってあります。

今考えると、

お金のためにやってない=誰かを喜ばせようとなんて実質的にしていない=誰も喜ばない=自分を無理やり肯定したくなる=誰かを引き合いに出してみたくなる

と言った負のロジックに陥っていたんだと思います。

その時に、助けてくれたのもやっぱりメンターでした。

「大丈夫。君にならできるよ。」

この言葉をどんな状態でも、必ずかけてくれました。

そしていつも、ピントを合わせてくれて別れてくれます。

いつしか、メンターを大好きになった私は、そんなメンターを見つけた自分を褒めるようになっていました。

だから、思いが変わったのです。

「お金は感情を増幅する道具である。欠けた月はどんなに大きくしても欠けたままだ。」

自分以外の誰かが喜ぶ。

その為にお金を使おう。

その為にお金を得よう。

その為に自分を変えよう。

その為に…

このご時世、そんな気持ちが見えやすくなっています。

ハッと思ったら、その場を離れるようにしましょう。

いつの時代も、”残ったら自分”です。

収入は自分の為だけにあるものではありません。

収入が無くなるのは、自分のせいです。

収入が増えるのは、誰かのおかげです。

もしも使いきれなくて残ってしまったのなら、お金さんに謝って使い道を一生懸命考えましょう。

予算設定の甘さを理解し、新しい予算を再設定しましょう。

私が弟子に教える一番初めの事柄は、ダンスではなくこんなことを話しています。

私自身がそうしてもらったように。