こんばんわ!
ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。
観てしまったのだ!!
「鬼滅の刃 無限列車編」!!!!!
始まりは3月頃。
キッズ達がチョロチョロ会話していたのを聞いていたが、全く反応できなかった…
なぜなら、知らなかったからだ!!!!
ちょっとした流行の漫画で、子どもの楽しみだと思っていた。
が。
違った!!
いつしかfuluの配信動画に夢中になっていた自分を感じて、「コレは!!」と思った。
漫画の専門的な知識は無いものの、少年ジャンプで育った自分は、なんとなく”時代の鏡”としての漫画に気付いていた。
数年前、知り合いの映画監督から衝撃的な話を聞いて確信に変わった。
この30年で3本の漫画を題材にすると分かりやすい。
“ドラゴンボール”
“ワンピース”
“鬼滅の刃”
保育園の頃、♫チャ〜ラ〜ヘッチャラ〜♪でお遊戯したのを今でも覚えている。
ドラゴンボールは、「強さ=仲間」を教えてくれた教材だった。
誰かをぶっ倒してリーダーになる。
強いヤツに人は集まると教えてもらった気がする。
高校生の頃、日曜日の部活の朝練に向けて朝食を摂っている時、7つ下の弟が♪ワンピ〜ス!!♫と力強い歌声をテレビから響かせていた事に激怒した事がある。
今考えれば、強烈部活の競争社会に負けそうだった自分には、大旗を振って悠々と仲間集めをするルフィに嫌気が差していたんだと思う。
そんな激昂に負けずに、両親の寝室に逃げてまでワンピースを見ていた弟の気持ちを知ったのは10年後の事だった。
ワンピースは、「目的=仲間」だと、事業を初めて理解した。
強烈なコンセプトを提示する事で、そこに付随する仲間が集まる。
個の力よりも、集の力を信じられたヤツがリーダーだ。
炭治郎に初めて会った時、全く違う匂いがした。
気持ちが優しく心も弱い。
これまでのリーダー像として主人公にはなり兼ねる人物に映った。
更に、集まる仲間も弱く問題を抱える者ばかり。
孫悟空が抜けきらない自分は、どこかでそんな登場人物にイライラしていた。
だって、どんな時代も主人公やそこに携わる仲間は一流であり、カッコ良かった。
それでも、一途に妹を想いその為に自分の命を使おうとする炭治郎をどこかで応援する気持ちになっていたのかもしれない。
それぞれに問題を抱えながら、乗り越えようとするキャラクターにも次第に愛着が湧いてきたり、身体の仕組みや思考法など綿密に考えられたストーリーに心惹かれていた。
そんなことから、自分は鬼滅の刃を
「想い=仲間」
だと感じるようになっていた。
どのお店を見てもコンセプトだらけの世の中。
本当にそう思っているのかどうか?は人生を賭けた行動に全てがかかっている。
良い事言うのは簡単だし、誰か上手くいっている人の真似をすれば良い。
だけど、等身大でぶつかって負ける時は負け、勝つかどうかなんかよりも大事なものを見失わずに持っている事が、その人自身の価値に直結する。
そんなリーダーを世の中は、子ども達は待っているように感じる。
要するに始めた時の”想い”はなんだったのか?
そこから導き出した目的や上達した結果だけではなく、その時の純粋な気持ちがそのまま未来に直結する。
ダンスで言えば、「変わりたい!」で始めた自分の想いがその後の仲間や結果を決めていく。
極論。
「犯罪を犯したい。」
と想って始めたなら、犯罪を犯すまで行動し続ける。
要するに、リーダーとなる人に”嘘”は通用しない世の中であると言いたいのだ。
これまでは通ってこれたかもしれない道のりが、鬼滅の刃の出現によって求められるリーダー像が一変した。
それは、今から変えられることでもなく、元に戻れることでも無い。
できるとしたら、今一から全く違うことを全く違った想いでやり直し、成果とは別の着地点まで歩を進めること。
心の底から「よかった。」と胸がスーッとするような映画だった。
煉獄さんの大切なシーンは、全ての子ども達に感じて欲しい。
大切なのは強さだけじゃなく、どんな想いでそこに立っているか?どんな想いをしてここまで来たのか?だから。