アレをやった人

こんばんは。

連日のブログ失礼します!

基本、感動が行動に変わった時に表に出るのが人間なのです。

感動にも種類があって、そう、いろいろあります。

練習という本番

毎日が競争で戦いで思い合いだったなあ。。。と感じれるようになったのはいつ頃からだろうか?

毎日の練習の中に主権の取り合いというか、主張の張り合いというか。。。

ある時は、一番やっているヤツが、

ある時は、一番考えているヤツが、

またある時は、一番面白いヤツがネタの主導権を握っていった。

今では二人で一人の状態が自然と身につき、他の誰も受け入れない体制ができている。

実に穏やかで、お茶を啜っていてもネタが進むようだ。

でも、あの時は違った。

ただ、”尖っていた”だけではなく純粋にそれを信じていただけ。

練習を本番と見れないヤツはそこにはいなかった。

20年前というと大袈裟だが、もうそれに近い。

怪我したり、過呼吸になったり、泣いたり、喧嘩したり…

こんなに真剣にできる遊びに出会えた事がそもそもの幸福だと思う。

その時は、目の前の事しか見ていなかった、というか見ないようにしていたからどんどん手応えがあった。

本番という練習

本番15分前。

ジャンケンで決めるソロの順番が楽しかった。

トリになるヤツが変なポーズで終わる罰ゲーム。

観客が反応するかどうかなんて関係なかった。

ただ、自分達が面白く、この前より楽しくいられたらそれでよかった。

練習した雰囲気なんて見せやしない。

途中で踊るのやめて客を煽るのも面白かった。

どんなふうにしたら目立てるのか?それを試していた。

「カッコよかったです!」「凄かったです!」

そんな声に、笑っていたりもした。

”アレ見てそれしか思わなかったのか??”

「なんであんなことしたの?」「ウケる!」

これが最高の褒め言葉だった。

帰りの車内は、8ミリビデオを見ながらメンバーだけで大爆笑。

一番のファンは自分達だった。

だからこそ、本気で練習し、楽しんだのが分かる。

あまりにもストイックなバックヤードと真逆のステージ。

自分達の本番は、屋根のない吹きさらしのコンクリートの上。

毎日が真剣で、体の極限まで使い込む。

そんな中のたった1日の本番は、息抜きの遊びの時間。

みんなに会えるのが楽しくて、毎日をダンスした。

今日、そんな風景を少し目にしたようで嬉しかった。

どんなことを言っても、アレをやったヤツにしか分からないこと。

それでいい、そのままでいい。

大丈夫、ありがとう。