好きになる36歳!CobA

こんばんは!

フリーダムダンサーのCobAです!

キッズメンバーからもらったケーキ!!

クオリティー高すぎバースデーケーキを頂いて、ご満悦で36歳になりました!!

色んな場所からメッセージ頂いた方、毎年同じ文面になってしまいますが「ありがとうございます!」

毎年必ずやってくる誕生日ですが、ふと毎年思うことがあるのです。

「来年はやってくるのかな?」

だから、嬉しいのでしょうね(^ ^)

地球は自転して、毎日太陽が登るように、公転していることで四季が訪れ、一年を感じます。

36周太陽の周りを回れたのは、当たり前のようでそうではないように思います。

それは、ある日突然出会った人も一緒です。

その人を好印象に思えば、「運命」とも呼ぶだろうし、悪印象なら色んな呼び方をするでしょう。

言いたいのは、人の印象を決めるのは紛れもなく”自分”だということです。

ただの自分ではありません。”過去の自分”です。

恋愛に例えると簡単に分かります。

過去に付き合って、良い思い出を作れなかったロン毛の彼氏がいたとします。

別れた後、ロン毛の男全てが恋愛対象から一時的に外れませんか?

しかし、ロン毛の男を好きになる”クセ”を持っているあなただったら、数ヶ月後に思いを寄せ始めた相手は”ロン毛”だった…なんてことはあったりなかったりしますよね??

印象は、あなた自身が決めているんです。

現代社会に欠かせないバーチャルの世界にだって、同じ事が言えると思います。

バーチャルでは、電気信号が全ての世界です。

そこに、心的な感情は含まれていないのは確かなのに、どうしても電気信号で作った文字や画像イメージに心揺さぶられる。

人間だもの。

完全なバーチャルを体感する不完全なリアル。

摩擦は起きて当たり前です。

「既読スルー」

この言葉が一般化してから、どのくらい経つでしょうか?

メッセージアプリでメッセージを見た際に現れる”既読”の文字。

その二文字に翻弄されるのは、私とて同じです。

人間だもの。

しかし、いつから”スルー”されることは悪くなったのでしょう?

30年ほど前、必死の思いで書いた年賀状。

冬休みが終えた学校で、友達に「年賀状届いた?」と不安げに確認したのを覚えています。

「届いたよ。」と確認を取った後に、「オレ、○枚だった!」と少ないながらのフォロワー数自慢合戦が始まるのです。

そんな中ある年に、年賀状スルーされた事を嘆いていたCobAに、母がハッとしてこう言いました。

「〇〇ちゃんちモチュウだった!!あんた学校行ったら謝っときなさい!」

喪中の意味も分からずに、「モチュウでごめんね。」と謝った事があります。

日本には、ハガキを通じて人を想う心を伝える方法が他にもありました。

そしてそこに、返信ハガキは付いていないのです。

技術が無かったと言えばそれもそうですが、どんなに思いがあっても、どんなに大きな声で叫んでも、どんなに清く願っても伝えられない思いを、ハガキにしたためて伝えていたのです。

少し乱暴な言い方ですが、ハガキがバーチャルコミュニティに変化したとも言えるでしょう。

しかし、その中身やそれを使う事に文化の継承はされなかったのです。

既読が付いて、スルーされる。

それはあくまで電気的な現象であって、それが全てではないのです。

それでも人は、心揺さぶられる。なぜでしょう?

人間だもの。

その奥にある背景や、その手前にある経緯など、人対人のコミュニケーションは不完全である故に、小さなミスを沢山起こしていきます。

要するに、リアルを理解する事でより良い人間関係を築いていく事ができるのだと感じます。

最近のニュースでは、外国の出来事をよりリアルタイムで知る事ができます。

時に、TVよりもインターネットを介した方が早かったり、適切だったりもします。

でも、本当にその情報は自分の人生にとって有益な情報なのでしょうか?

個人レベルでも同じ事が言えるでしょう。

SNSのタイムラインで流れてくるフォロワーの投稿は、その人にとっては重要な出来事でも、見ている人はそうでなかったりもします。

このブログだってそう。

クリックはしてみたものの、あまり有益な情報が得られなかった。

そんなことは、大いにあります。

そんな時、CobAは「自分の見る目が無かった。」と解釈するようにします。それを読むのにかかった時間とバッテリーは返ってこないものの、次から選択する材料としての”失敗データ”を残す事ができます。

時には、友達解除などの手段に出ることもあります。

が、基本的には自分が承認、同意した行動として自分で責任を取るようにしています。

ある程度大きな媒体であれば保護機能も充実しているので、身を守る手段としては信頼性の高いものを選ぶようにしていますし、何しろリテラシーやマナーを日々学んでいるので、今のところバーチャル世界で困った事は起きていません。(あまりバーチャルに踏み込んでいないのも事実です(*^_^*))

ただ一つ言える事は、これからやってくるバーチャルリアリティーの世界では、それが混同してくることから、更なる教育や実体験が必要になってくるのだと感じています。

それは何も、大ごとのことではなく、今ある現実世界での人とのやり取りや想いの伝達。

そこから波及するグループコミュニケーションのあり方など、教材はもう既に存在し、とっくの昔から形づくられている定型文の中にあるのだと思います。

最初の話題”既読スルー”に戻ります。

既読スルのは誰か?(韻踏んだ٩( ᐛ )و)

もちろん、読んだ方です。

では、既読スルーするのは誰か?

こちらも、読んだ方ですね。

なぜ、既読し、スルーしたのか?

実際の理由はなんなのでしょうか?

そして、既読スルーという電気信号に対して、人間特有の”感情”を抱いたのは誰でしょう?

送った方は、ただの電気信号に対してなぜその感情を抱いてしまったのでしょう?

言い換えれば、交差点の青信号に対して良い感情を抱き、赤信号には悪い感情を抱くようなものです。

どちらも必要に応じて出現させた人間の発想です。

過去に青信号で事故に遭った人にとっては、青信号は不安要素で、赤信号は安心材料だったりもするかもしれません。

どちらにせよ、事実は一つでも真実は他にもあったりするのかもしれませんね。

リアルでは、一つの事象に対して、前後に多くの要因が複雑に絡み合っていたりしているものです。

少し抽象度を下げると、既読スルー問題に突入する前と後に、両者がとっていた行動はなんだったか?

実際に会っていた時の言動はどうだったのか?

相手を不安にさせたり、不快にさせたりした事があったか?そして、それに気づいていたか?気づいていたなら素直にフォローしたのか?

そもそも、相手を思いやる心を持ち合わせていたのか?

まさか、対応にビビって踏み出すべき時に踏み出さなかったのでは?

「相手の事を思って…」という言い訳をしていないか?

全てがセルフチェックです。

誰もあなたの真意になんて気づいてくれません。

あなたの心は薄っぺらい共感で満足する程浅くはないのです。

あなた自身がそれに気がつかなかったら、一生、お金持ちになっても、時間持ちになっても、友達持ちになっても、資産持ちになっても誰も気付いてくれないのです。

あなたがあなたに気付いてあげるしかないのです。

それを人は「不幸」と呼びます。

不幸の最中では、正しい判断が可能でしょうか?

幸せを感じている時と、そうでない時では180度受け取る感情が違って見えたりします。

本当の自分はどちらにいますか?

いつも、幸せな自分でいたいですね。

CobAは?というと、比較的幸せを感じていることがおかげさまで多いと思います。

それでも、嫌な気分になる時だって少なくありません。

そんな時どうしているかというと、できる限り自分を褒めるようにしています。

褒めると意外と気持ちいいです(^.^)

笑えてきますし、楽しい気分にもなります。

まるで、不幸な気持ちなんて忘れてしまうぐらい、小さなことを褒めるのです。

幸せな気持ちは、自分を豊かにします。

豊かになると、溢れでてきます。

溢れたものは、誰かが拾い、また幸せの連鎖が続いていくのです。

それがコミュニケーションです。

“誰かを喜ばせる。”

人が好きなのは、大好きな自分が選んだ相手だから。

人を喜ばせることは、おおよそ自分を喜ばせることと同義語だからです。

幸せは現実でしか感じられません。

バーチャルは、あくまでそれを補助する道具です。

もちろん、フォロワーは多い方がいいでしょうし、”いいね!”だって多い方がいい。

メッセージは早めに返した方がいいし、電話は掛け直した方がいい。

だけど、その何百倍も効果があることは、ただの一度だけ、相手の目の奥をじっと見つめて、笑顔で「ありがとう」と言うことです。

言わなくてもいいでしょう。でも、溢れていたらどうしても出てしまうのです。

人の前に、自分なのです。

大好きなあなたが、大好きなものは、大好きな人以外にも伝わります。

そのあなたが、道具を使うからレバレッジが効くのです。

「思いやる。」

36歳になって、最近感じたことをベースに書いてみました。

今年のCobAもよろしくお願いします!!