見えないチカラ

こんばんは。

ダンスだけで生きている男CobAです。

今日入ったファミレスで見えないチカラを感じたのです!

「あゝ神よ…」

という事ではなく、単純にメディテーションコーチとミーティングをしていてプロ野球選手の話になって気づいたのです。

“マイナー競技の選手はメジャー競技の選手に比べて小さな事柄や、人にまで感謝している。”

こんな話を聞いていて、目に入った”Drink Bar”の”D”の字に感謝してみたんです。

「俺に教えてくれる為に存在してくれていてありがとう。」

そうすると、次に”Rest Loom”の看板が目に飛び込んできます。

「あの看板をつけてくれた人がいたんだな。ありがとう。」

すると、建物全体が応援してくれているように感じたのです。

そう。

そこに神はいたのです!

やっぱりそういう話になりますね。

その話は別の機会として、人の感覚の話をしようと思います。

全ては言葉

人は自分で発した言葉でできています。

言葉の種は思考であり、心です。

心とは、コントロール可能な範囲もありますが、ほとんどのの領域は抑制不可能な領域です。

抑制は不可能ですが、心の変容は可能で、そのチャンスがあれば何度でも変わることができます。

しかしながら、人は変化を安定と呼びコンフォートでい続ける選択をします。

それが、生き永らえ子孫繁栄させるコツだったからです。

心=行動

です。

実際にその人が行う行動が、その人の心を表します。

良い悪いは、受け取り側の問題としても、言葉や行動で表現された心は隠せません。

特に言葉は、音を発し残ります。

活字だとしても、読んだ人の脳内で波動になり脳に直接伝達されます。

トゲのある言葉を見た時にドキッとするアレです。

その波動は、確実に人に伝わり、その人は何かしらの行動に出ます。

どんな形かは分かりませんが、その延長線上に自分がどこかで絡んでくるのは明確です。

それは、自分が望んだ形ではない形でやってくることもしばしばです。

今、自分自身または近い人に何かを目指している人がいるのなら、是非とも感謝を忘れないでください。

不安や恐怖はどんな時でもあるのが日常です。

不安は不安を呼び、恐れはマイナスしか呼びません。

そんな中でも進む人たちがいます。

私の経験上、彼らは感謝をよく口にします。

恐らく意識して感謝しています。

それは、自分自身への恩恵も視野にあると思いますが、周りの人の為に感謝していることが多いように思います。

目指している人へ敬意を払い、その人の人生を思う。

すると、自然に感謝の言葉が溢れてくるのではないか?そう思うのです。

とかく、子ども達に触れることが日常になっている私達は、その点にしっかりと注意していく必要があると考えます。

彼らがナチュラルに使う、見えないチカラを最大限に発揮できるよう、言葉のチョイスや立場の把握は大切です。

焦らせたり、不安にさせたり、困らせたり、躊躇させるような魔法の言葉は、簡単にかけられます。

私の口癖に気づいている人は多いでしょうが、私はどんな時でも言うようにしています。

“大丈夫”

と。

見えないからこそ信じるチカラ。

冗談であれば安心できる言葉。

見えないチカラは、いつでもどんな時でも働く無限のチカラだと肝に銘じて毎日を過ごそう。

フィルタリング

こんばんは。

ダンスだけで生きている男、CobAです。

最近の休日は、衣装探しに明け暮れそこら中のお店に顔を覚えられてきました(๑╹ω╹๑ )

おそらく、皆さんの想像の付く範囲外のお店にも行っています。

すると、沢山の発見と高級店ってなんだろう?という気持ちにさせられたりもします。

求めているものは常に自分が思っている以外の場所にあるものです。

フィルタリング

フィルタリングは生活の至る所、人生の至る所に存在しています。

今の自分は毎日のフィルタリングの総集編であり、自ら進んでフィルタリングにかかっているのです。

フィルタリングとは、インターネットの閲覧制限に使われる言葉でしたが、ビジネスシーンの至る所でも同じように使われていますし、実は生活の中でも無意識的に個人個人が使っているのです。

例えば、試験なんかは全てが露骨なフィルタリングですし、友達関係で使われる共通用語も一種のフィルタリングとして捉えられます。

商品の料金設定や店構え、店員の所作や言葉なんかもそれにあたると考えます。

そんなフィルタリングに囲まれて生活していると、知らず知らずの内に”自分らしさ”という枠組みを自ら形成しその通りに行動するといった一貫性が生まれてきます。

そこから弾き出される行動パターンを他人が読み取り、個人という設定を決定づけているのです。

それは、自分というコンフォートに身を置くことで、安心して生活できる条件です。

安定的で、障害物が少ない日々が「生きる」事にとっては最大の重要事項になります。

人間の生存本能として、現代の私たちまで受け継がれてきたDNAであり、どんな人達にも備わっている能力です。

しかし、本能と環境は時に正反対の性質を生むことが常です。

狩猟民族にとって、食べることは生きることであり、安定的に生きるには食料を供給し続ける必要がありますよね。

その場合、生活を維持するためには命と引き換えになるような危険な猟に出る必要が必須でした。

それは、自分の命だけではなく他者の命までを背負ったミッションです。

おそらく、そこにもフィルタリングが存在していてどんな動物を獲ったらいいか?誰が獲りに言ったらいいか?どのくらいのスパンで獲りに言ったらいいか?などを家族、またはグループ単位で話あったのではないでしょうか?

それは、先に述べたコンフォートゾーンから自ら身を外し、緊張し不安定なストレッチゾーンに自ら身を置く決定をしなければ、一定単位の命をつなぐことはできなかったのでしょう。

現代に話を戻せば、猟が仕事ということになります。

大きな獲物を獲る=大きな収入を獲る

のシンプルなロジックの通り、個人或いは家族の生活範囲が決まってきます。

より大きな収入を得るためには、もちろんコンフォートゾーンを大きく変えていく必要があります。

しかし、コンフォートを変えることは一筋縄ではいきません。

なぜなら、それまでに多くのフィルタリングを通過してきた自分には、幾多の糸が複雑に絡み合い撚り戻そうとしても、逆に絡んで行ってしまうからです。

私自身はその対処法を熟知しているので、恐ろしいほど簡単に外せますがその経験がない人には恐ろしいほど難しいでしょう。

メンターから教えてもらったのは、35歳までに「一人暮らし」「単独海外旅行」「社会的起業」の3つを経験しない限り、その後の変革はかなりの難易度を要するということでした。

要は、35歳までにその3つを完了できていくような青年時代を過ごす事と、その考え方が備わるような少年時代を過ごす事が大人になった時の自己を決定づけていくのです。

これらも全て有難いことに難なく経験させてもらってきました。

その観点から確定的に思うのは、いくつかあった人生のターニングポイントで必ずフィルタリングがあり、その選択の全てをそれまでの自分でもびっくりするような決定をするべきだという事です。

自分の固定概念を一瞬で変え、その瞬間から全く新しい自分をスタートさせられる。

フィルタリングによって触れることのできる新しい情報や新しい感覚は、これまでの人生には無かったものばかりでした。

逆を言えば、今の自分を疑って観察すること。

人間的判断は、前頭葉の働きによって決定できます。

悲観的で心配事の処理は扁桃体によるものです。

同じく頭を使うでも、使っている部分が全く違うのです。

そして、その二つは同時には動かせません。

従って、前進できる人は前進する考え方をし、その場に留まる人は留まる考え方をします。

脳も自分の一部ですので、コントロールすることは可能なのに、これまでの自分が優位であることから自分を変革することができない。

少なくとも、私が関わる子ども達にはこんなことぐらい伝わって欲しい。

大人になったら名前も忘れてしまうぐらいの存在である私たちだからこそ、長い人生においての一つの鍵となって欲しい。

フィルタリングは常に両極の性質を持っています。

進むか進まないか。

進んだ場合の責任。

進まなかった場合の停滞。

二つに一つ。

こんな簡単な計算式を学校ではなぜ教えてくれないのだろう?

私は迷わずに、進むを選択します。

ADVANCE

インストラクターに必要な資質

こんばんは。

ダンスだけで生きている男、CobAです。

もう、ブログ書かないでいいな〜。って思ってたのですが、最近嬉しいことがあったので書こうと思って数ヶ月が経ちました。

その前に、インストラクターという職業について触れておきます。

一般的には、インストラクターというと専門的な技術などを指導者用の教育を経て資格を持っている人の事を指します。

要するに”有資格者”です。

運転免許の資格と教官の資格は全く違うのが周知の通りで、勉強ができるのと教鞭を取るのは全く次元が違うということです。

技術自体の難易度については諸説ありますが、アメリカでは”I,m First Time!”でインストラクションを行うこともあったりなかったり…

教え方のロジックさえ分かってしまえば、何事にも応用が効くということなのでしょう。

インストラクターの最高価値は、言葉だけで誘導できること。

インストラクターの最低価値は、目だけで見せて誘導すること。

最低限、目では見せられるようにしようね。

ということと、言葉だけで具体的にイメージさせられたら最高だね。

という相反した性質を持っています。

ということで、言葉だけで指導する。言い換えれば、動かずとも現実化させる。

そんなインストラクターが実際にいることを目の当たりにしてきました。

先日、自分のセルフケアのミスで鎖骨周辺を損傷させ、動かぬ体となりました。(その際は大変ご心配をおかけしました。)

最大限の知識と自助努力の結果、3日で(トレーナー曰く、ありえない…)完全修復させることができましたが、その間の5レッスンに関しては、全く動くことができずに”言葉メイン”でレッスンを行いました。

その結果!!

皆さん、動きの理解に必死になり全快時のレッスンと遜色なく行うことができました。

むしろ、動かない方がメンバーの皆さんにとって思考力を働かせるキッカケになったんじゃないかなと思ったりもしています。

KIDSクラスですらそうでした。

それは、急に始まったことではなく日頃から思考しながらレッスンに勤しんでいる皆さんの努力の賜物だという証明です。

レッスンを受けるに際して、必要なことは”イメージすること”です。

自分自身、師匠にレッスンをつけてもらうときに「考えろ!」「周りと同じことをするな!」と叱咤いただきます。

大人であれ、子どもであれイメージすることは同じです。

言語的理解力に差があったとしても、頭の中の想像図はその人にしか描けません。

それを、描かせてあげる。

それをインストラクションと言います。

指令を出す係ではないのです。

その人に寄り添い、理解し、発想するチャンスを与える。

だからこそ、その人自身が伸び、その人自身の身になるのです。

弟子たちにはキツくこう言います。

「レッスンはお前のモノじゃない。」

黒子に徹し、その人のベネフィットにどれだけ近づけられるか。

人の事を想う。

それが、インストラクターの唯一の資質というもので、資格とは一切関係のないものです。

資格を取るのはすごく簡単です。

ですが、資質はほぼ一生変わりません。

脳みそをハンマーでぶっ叩かれるほどの衝撃を与えられた時にだけ、資質を変えるチャンスがやってきます。

資質とは人であり、行動であり、言葉です。

人は偽りますが、行動は偽れません。また、言葉は全て自分の体が全て聞いているので自分に見抜かれます。

亡くなった敬愛する経営者の先輩が弱った体でスタジオに来てくれてこう話してくれました。

「言っている事よりやってる事。」

それは深く、言われた方には大きな愛のある言葉でした。

事実、それが本当であればその人はそういう人である。

ダンスインストラクターには、一般的なインストラクターよりも繊細な部分があります。

それは、子どもに触れる事です。

キッズダンスの需要の増大から、アンダーグラウンドで活動していたダンサー達はオーバーグラウンドでの活躍のチャンスを手にしました。

さらには、テレビ出演などからもメディアに露出する機会が増えてきました。

今では当然のことですが、2000年周辺では多くの軋轢があったように感じます。

それから20年経った今でも、悪しき伝統として今もあり、味や色として継承されていくこともあります。

まさしく、文化であると認識できます。

が、この10年でアンダーグラウンドに終止符が打たれようとしている今。

少なくとも自分自身が見てきたアンダーグラウンドとは180度変わってしまっている今。

ダンサーは、オーバーグラウンドで生きる術を身につける他ないのです。

・刑事事件性のある者

・一般常識を逸脱した者

・健全な教育に支障がある者

・ミスコミュニケーションを引き起こす恐れのある者

・間違いを認めない者

・自分の事しか考えていない者

・人に関わる勉強を怠る者

この行動を一つも行わない事がダンスインストラクターの資質であり、価値である。

現在、自分の周りにこういったインストラクターがいないことを誇りに思い、掃除係に邁進していく所存であります。

今、目にかけている弟子がこんな事に気づかせてくれました。

きっと素朴ではありますが、優秀なインストラクターになるでしょう。

自分自身、そんな人になれるようこれからも邁進していきます!!

炎症と筋肉

このタイトルで、最も思い浮かべやすいのがいわゆる”筋肉痛”でしょう。

筋肉痛とは、筋繊維に傷が付くことで筋細胞の再合成が始まります。その中で起こる炎症作用で痛みが発生している状態です。

簡単に言うと、筋肉に大きな衝撃があった後に必ずやってくる耐え難い痛みのことです。

例えば、足首の捻挫では激しい鈍痛と異常な腫れを確認できます。

実はその時に炎症が起き筋肉を修復するプロセスが始まっているのです。

そんな時は迅速な応急処置をお勧めします。

「RICE」

1.Rest(安静)

「ギプスをはめた!」なんて言葉をよく耳にするかもしれませんが、要は動かさないようにすることです。

心臓や胃などの不随意筋を除けば、関節を動かさない限り筋肉は使われません。

無理に動かすと炎症が広がり、痛みが増し悪化してしまいます。

関節さえ固定してしまえば、不意な筋運動以外は防げて修復に集中することができるのです。

ちなみに、ウイルスなどの疾病で起こる心筋炎や心膜炎などでは、止めることのできない臓器である性質上Restは適応できません。小さな症状も起こさないようにしましょう。

2.Icing(冷却)

野球選手の投手がベンチに下がった後、肩が大きく膨らんでいるのを見たことないですか?

あれが正しくアイシングをしている最中です。

アイシングは、運動を行う上で非常に重要ですし、ましてやケガなどによって炎症がある場合、とにかく早く行う必要があります。

やり方は、一般的にはアイシングパックに氷8:水2程度に入れ、空気を抜いた状態で患部に当てます。

そのまま20分程かけて感覚が無くなるまで冷やします。

できれば、何度か繰り返すといいでしょう。

内臓に近い場合は気を付けましょう。

3.Compression(圧迫)

治りを遅めてしまうのが腫れや内出血です。

それを抑えるのに有効なのが圧迫です。

表層筋であれば包帯をキツめに巻いたりすることで圧迫は可能です。

先にも書いたように、深部筋の圧迫は難しいでしょう。

4.Elevation(挙上)

指を切って出血を止める時にも、この方法が用いられます。

心臓より高い位置に患部を挙げることで、余分な血液の供給による溜まりを防ぎ、治りをスムーズにします。

当然ですが、内臓周辺の筋肉が炎症を起こした場合は、挙上できません。

この4つを適切に行うことで、筋肉の炎症は和らいで行くでしょう。

安静が一番ですね。

何度も言いますが、安静にできない筋肉の炎症の場合、直接的に言えば心臓などの不随意筋の場合、軽度の炎症でもその後の状況によっては悪化していってしまうことに対処することすらできないのです。

心筋炎や、心膜炎は軽度の場合でも注意が必要です。

胸に痛みが走る。

心臓は止められません。

痛くても止められないのです。

知識のない人はこう言います。

「軽度なら安心ですね。」

「確率が低いから大丈夫ですね。」

それは、RICEが効く部位だった場合です。

症状が出ていない場合でも、炎症は起こっている場合もあります。

人数に足されるのは、ボーダーラインを0.1ポイントでも超えてしまった症例のみです。

それ以下、ギリギリの症例は加算されず、ピラミッド的に考えれば格段に数は多いはずです。

私は、テレビやSNSなどで最近その言葉をよく聞きます。

知識は時に命を守り、大切なひとを守ります。

知識とは、学術的な部分だけではなく、自身に起こる感覚的な部分にも大きな確信が含まれているように感じます。

私が生きている世界は、私であって画面の中ではありません。

私が感じている世界は、誰のものでもなく自分のものです。

体は借り物であり、箱です。

しかし、その箱を大切にできるかどうかは、心にあります。

心を育てるとは、実は体を育てることに直結しているのかもしれません。

ホメオスタシスとプロパガンダ

人は危機に直面すると、どこかにあるであろう安心材料にすがろうとする。

理由が分かれば、まるでその全貌が見えたようでなんとも言えない安心感に包まれる。

では、その確固たる理由が見つからない場合はどうだろう?

きっと、不安になり全てが偽りに見えてくることもあるだろう。

その結果、判断は偏り自分に利のある方向性にしか目を向けなくなる。

それが正しいのかどうかは二の次として、多角的な見方ができなくなる。

人は、危機に直面した時にのみ自分の生きてきた過去から今を選択し未来を生きなければならなくなる。

風邪をひくと大抵の場合発熱しますね。

熱を出す事で体内のウイルスや細菌を死滅または不活化させる効果があり、人の持つ免疫作用の一つなのです。

体内のそれらが弱体化すると、熱は不必要になるので平熱に戻ります。普段の自分に戻るのです。

これを”ホメオスタシス(恒常性)”と言います。

脳科学でもこの定義は基本とされていて、不安を感じると安心できる自分に戻ろうとするのです。

パニック状態なら尚更で、ウソをつきやすい状態になるのもこの時です。

ウソをついているかどうかは他人にはわからないので、ウソとは自分しか知らない真実があることを指します。

大事なのは「今ウソをついている。」=「今パニックになっている。」という事実を自覚できているか?ということです。

先にも述べたように、パニックは不安の進化段階であり、普段の自分を逸脱した状況です。

どうにか普段の自分に戻りたくなり、その場を取り繕う。

ウソをつくとは、自分の限界点を自分自身に教えてくれているチャンスなのではないかと感じます。

しかし、そんなチャンスに気がつかずさらさらとウソを並べてしまっている段階では、全くもって自分は気がつきません。

さらには人を巻き込む場合が多いので、ますます後に引けなくなるのです。

最初は心痛めながらつき始めたウソも、回数を重ね嘘をついていることすら気がつかなくなる。

最後には、それがコンフォートとなり思ったように事が運んでいると思い込むようになります。

そかからが、”プロパガンダ”の始まりです。

プロパガンダとは、特定の主義、志向に偏った偏向的な扇動のことですが、まさか自分がそんなことしているとは自分を含め誰も思っていないでしょう。

有識者なら特にその気が強くなるでしょう。

「私が常識を作っているんだ!プロパガンダの何が悪い!!」

という調子です。

その通り、プロパガンダの良い悪いを話しているのではありません。

誰しもがその可能性を秘めているのです。

私自身、プロパガンダを作り出し、その中で生きているのでしょう。

しかしながら、自分の人生他人の偏向的価値観を押し付けられて生きていくのは、少々息苦しい感じがします。

昨今の社会情勢の中で、気づくことが沢山あります。

偏向的になるのは、不安を感じるのが最初だと書きました。

そして、不安の中に安心できる材料を探すのだとも書きました。

そこに自分の求める、偏向的な思想に触れたらどうなるでしょうか?

まるで両思いになった恋愛のように、みるみるうちに惹かれあっていくのです。

しかし、その人にとっては真実ですが、思考統制をした方としてはウソなのです。

それにある瞬間から気がついたとしたら、そこから過去は音を立てて崩れ落ちていくのです。

私には、一つの信念があります。

「人は人によって磨かれ人となる。」

どんな人との出会いでも、自分を磨く研磨剤として私を輝かせてくれるのです。

しかしそれは、破壊的であり裏切り的な事例をもってして実現します。

問題は、それに気づくことのできる自分でいられるのか?どこかでウソをつき無いものとしていないか?

そんなチェック機構が自分自身の中で形成されていくこと。

人は常に安心したいし、思った通りであって欲しい。そういう願望が発展を生み出してきました。

しかし、あと数ヶ月先には技術的な発展に加えて、人間的発展を試される世の中がやってくるように思えて仕方がないのです。

一貫した思考にのみ、たった一つの結果が与えられる。

質と量

質を求めると量が欲しくなり、量を求めると質が欲しくなる。

両者はいつもバランスを必要とする。

できないステップがあるとしよう。そして、そのステップを心からやりたい!と思う。

そんな時にはまず、質を求めるだろう。

お手本のステップのようにスムーズに軽快に…

しかし、実際にはぎこちなく上手くはできない。

100回もの練習を繰り返して、やっとの思いで1回できるようになる。

質には量が必要だ。

できるようになったと言っても、5回に1回、いや、10回に1回できる程度で毎回完璧にできるわけではない。

すると今度は、数を制限して10回やったら10回できるようになる練習をするのかもしれない。

できる数を増やすにはまた違った考え方が必要なのだ。

1%を目指すのと、100%を目指すのは全く違う。

だからこそ、一度登った山を降りなければならない。

最近、こんな言葉を目にした。

「千日をもって初心とし、万日を以って極みとする。」

素晴らしい言葉だ。

10,000時間の法則は、ダンサー達によく話してきた。

何事も10,000時間を経過できればプロ化する法則。

1日9時間やって約3年。

プロと呼ばれてからの30年間、プロでない時の熱量と行動力を維持したまま進むには、更なるパワーと使命感が必要だ。

あの時、あれだけやっていてよかった!と思える指標が、極みの境地への道標となる。

まだまだ20年。

1/3しか残されていない時間をこれからどう使おうか?

極められるかどうかは、最初の量にかかっている。

質は量に内包される。

それがバランスがいい状態である。

自分への戒めと、再確認の為ここに忘備録として記す。

2021.7.15

ゴール設定と短期的課題

①ゴールの設定

②現状の確認

③装備のアップデート

④1/2・1/4設定

⑤1歩目の方向性

⑥ゴールまでのイメージング

⑦バッドシナリオへの対応

⑧行動

※①〜⑧を時間をかけずにスピーディーに繰り返し行う。

失敗は成功の元ではない。

失敗に成功は内包される。

全ての事柄が必要事項であり、そこから逃れることはすなわちゴール不到達となる。

それでも構わないのなら、そんな程度のゴールであり、特筆自身の人生に影響を及ぼさないと考えられるので今すぐゴールの設定を大幅に変更する必要がある。

課題を問題と捉え、今の自分で解決しようと試みる姿勢こそが負の連鎖の入口である。

ゴールだけを掲げ、短期的課題を無視する姿勢こそが負の連鎖の真髄である。

己に嘘をつき、その姿にさえ蓋をする自分自身こそが負の連鎖から一生抜け出せないブラックホールである。

今、それらに気づいたのであれば、遂に自分の人生のスタートラインに立つ事ができる。

しかし、そこから自分で決定したゴールを見れば、今まで以上に遥か彼方に見え、足がすくむのかもしれない。

それでも一歩を踏み出せるか?

それほどまでに、自分のゴールに辿り着きたいか?

好きなことを語るには、好きじゃないことに情熱を傾けた瞬間から始まる。

好き=自分

それ以外=他人

どれだけ自己犠牲を進んでできるか?

行動=メリット

自己犠牲に自分のメリットをどれだけ見出す事ができるか?

自己犠牲=メリット

このロジックが成立した人のみが、ゴールへの行動の一歩を踏み出せる姿勢が整う。

短期的課題とは、目の前の嫌なことにどれほど真摯に打ち込み、己の命を投資することができるか?

こんなに簡単なことなのに、人はいちいち確認する必要がある。

自分への戒めと、再確認の為ここに忘備録として記す。

2021.7.4

8.ダンスは逆算

昔、監督がこう言っていた。

「今日何をするかを今決めているヤツは占い師と一緒だ!」

高校バレー部時代、練習メニューの相談に教員室に行った時の一言だ。

当時は全く理解できなかったが、そう言い放った監督の背中に今では感謝できる。

時折、監督はタイムアウト時に行き当たりばったりの展開に”占い師か?”と鼓舞していた。勝敗問わずにだ。

要は、「決めてから動け。」ということなのだろう。

今の行動の連続性に思い描いた未来はやってこない。

高校生のCobAにそれを理解するのは困難だった。

“インプロ”という幻想

即興で物事を成す事を”インプロヴィゼーション”と言います。

ダンスで言うところの”フリー”です。

フリーは、まるで今考えたかのように踊り、事前に準備してこなかった事を美徳に思う節があります。

よく「降ってきた。」と表現することがありますが、脳科学としては有り得ないのが定説です。

もしくは、”テキトー”にと言う言葉が合っているのかとも思います。

まさか、ダンスの先生が言う「今考えた。」とか「今初めて曲を聞いた。」と言った言葉を信じてはなりません。

本当に今、その場で行ったのだと言うのなら、それは詐欺だと思ってもらって良いでしょう。

なぜなら、人は想像できる事以外はできないのです。

思ったように動くことは、過去の集大成であり、五感を使った知識なのです。

実は、CobA自身も若い時に、即興性の言葉を過剰に評価していた時期があります。

それはなんとも楽で心地良いのです。

レッスン前に曲を決め、聞いたまんまにフリを作る。

これだけ聞くと、カッコよく思えるのですが、一定期間そのままだと「あれ?この動きこの前やったな…」とか「どの曲も同じに聞こえるな…」とか、まるで五感を失ってしまったかのような感覚に陥るのです。

その原因は、単純なインプット不足でした。

人はやはり、努力の値がそのまま表に出るです。

例えば、フリーの途中で止まってしまう場合。

手先は動いていても、リズムやグルーヴが無くなるようなムーブはよく見かけます。

実際にそれを行なっている人は”踊っているつもり”なのでしょうが、見ている人は”止まった”と表現するでしょう。

創作ダンスや表現運動なら、立派な表現の範疇ですが、ストリートダンスで止まってしまう(動いていない)のは、音響トラブルで曲が止まってしまうことと同義なのです。

もし、ダンスの中に止まってしまうショーを感じた時にはストリートダンスの枠を外して見ることをお勧めします。

今の話にも出てきたように、リズムとグルーヴはストリートダンスの根源でありどの時代でも社会が求めたソーシャルダンスなのです。

曲が終わる時はすなわち、パーティーの終わりでです。

ダンスを踊るときに最も大事なのは、終わりを決めることでしょう。

拍手のもらい方を決めれば、その前の動きが決まるようにダンスは逆算で物事を進めていきます。

その為にどうするか?をいちいち行動する前に予測していく。

基礎だってそれによってだいぶ違うことになるでしょう。

見た目は一緒でも辿り着く場所が違う。

キッズダンスでいえば初めてダンスを教えた先生がその子の将来を決めるのです。

昔、師匠から言われたことがあります。

少し上手に踊れる女子高生を指して、

「あの子の前の先生は男だろ?女性らしく踊れるようにしてあげなかったから今すごく苦労している。ダンスがわかっていない先生にあたってしまったんだな。。。よく頑張って上手くなったよ。」

と、少し呆れたように言っていたのが印象的でした。

師匠が言いたかったのは、きっと経過点で価値決定をしないことだと感じました。

ダンスは続けたもん勝ちです。

続けると言うのは、ゴール設定のことで単純に続けるだけではなく目的を持って継続することを言います。

しかも、それは個別である必要がある。

人の思考や好みは違いますし、その上体型だって変化します。

男女差もありながら、生活環境だって影響してきます。

とかく、キッズダンスは子供の判断力を絶対的な力を持つ先生が影響を及ぼしていくのですから、押し付けやエゴがあっては先に述べたようになってしまいます。

ストリートダンスは、リズムとグルーヴといった不確定要素が絶対的カギになるダンスです。

人の好みによるのです。

芸能界や、学生スポーツのように期限付きの消費ダンスではそんなこと考えている方が無駄だということは、自分自身嫌というほど経験してきました。

そうではなく生涯を通したライフダンスでは、”人がどう思うか?”の前に”自分がどうでありたいか?”が問われてきます。

先生と呼ばれる人は、その子の未来予想図の中にどうダンスが組み込まれたら楽しくなりそうなのか?を多角的に予想できる経験値と創造性が求められます。

逆算で求められる答えは、とても具体的で現実的です。

そして確実的なのです。

逆算することは、非現実的な未来予想図から、目の前の確実な一歩を踏み出す為の公式と言っても過言ではないでしょう。

曲げられないアイデンティティ

こんばんわ!

「ダンスを力に!!」執行部のCobAです。

春高バレーが始まりましたねー。

何を隠そう高校時代は、全国制覇を目標に当時強豪ひしめくある県で一二を争っていた過去があります(^ ^)

残念ながら県大会ではオール準優勝で全国への切符を喉から手が出るほど欲かったのを昨日のように思い出します。

なんでそんな話をしているか?というと、ニュースで春高バレーの特集が始って県大会決勝の様子が見られるサイトを見つけ、ふとクリックしたところ当時の監督がコーチとして映っていたからです。

数年前、同学年の結婚式で再会した監督は、定年を迎えるからもう辞める。と話ていましたが、ベンチに座るその背中は当時のままで恐怖そのものでした。

さらに驚いたのは、決勝両校の監督が同世代のライバルと伝説の先輩になっていた事です。

結果は、フルセットの末監督の高校が負けてしまいましたが、やっぱり時代を越えても同じような共通点がありました。

まず、7年間同じカードで決勝を戦い負けていること。

どうしても越えられない壁がそこに存在する。

万年2位の自分達からすると、あのユニフォームを見るだけで武者振るいがして、「今回こそは!!」という気持ちになったものでした。

しかし、その気持ち自体が体を硬直させ、いざ決勝のセンターコートに立つと思うように体が動かなくなるのもあるあるでしたが…

越えたくても越えられない壁がすぐ側に存在することは、自分を奮い立たせる大きなオブジェになっていたようです。

2点目は、監督の高校は県内の生え抜き選手を使っていた事です。

対する優勝校は県外から選手を呼んでいました。

それは、当時の構図も同じでよく監督は、「県内選手で一番だ!」と負けた時に励ましてくれました。

その時からか、土地を大切にする意味が理解できた気がしています。

3点目は、絶対的エースがいない小さなチームだということです。

大体の強豪校には絶対的エースが存在します。

「困ったらエースに渡せば決めてくれる!」そんな風に強いカードを一枚でも持っているチームは強いのです。

もちろん、それ以外の選手が全国クラスで有ることは当然の事ですが、それを遥かに越えて誰もが頷くエースがチームの窮地を救ったりするものです。

しかし、監督のチームには絶対的エースがいないように思いました。

当時も同じように絶対に決めてくれるエースが存在せずに身長もセンターをのぞいて170cm台と小さかったことも含めて、「一発で決めようと思うな!全員で拾いまくって相手が崩れたところを狙え!」とタイムアウト中に鼓舞していました。

※拾う=レシーブ

その分基礎体力、基礎技術練習は他校の倍以上はやったと自負しています。

練習を効率的に行うタイムマネジメントも強烈でしたがこの時に初めて学びました。

さらに、レシーバーだったけど部長だった自分には、頭の中身まで使ってチームに貢献するように叩き込まれました。

そのおかげで、大学に進学してからはキャプテン兼監督としてチームのマネジメントも達成できたと感じています。

結局、当時の最高成績は北信越大会3位、全国出場校2校撃破でしたが、そんな事以上に大切な物をもらったような気がしています。

現在のスタジオのキッズダンスの指導方針と、今お話したことが見事に合致しているのです。

集まったメンバーで最善の策をとり、自分一人で考えられることは考え、常に壁にぶち当たりながらも、みんなの力で目標を達成する。

言葉では簡単ですが、高校3年間を純粋に過ごした経験値は、今最高の結果となって発揮されています。

画面越しに、「きっと、この子達も同じよう感じる時が来るんだろうな。」と感じた数時間でした^_^

“部活のプロ”から見て、一般の部活ではできないことをハッキリと身につけていることが分かってよかった。

監督!

ありがとうございました!

2021年明けましておめでとうございます。

この一年が皆様にとってかけがえのない一年になりますよう心から願っております。

今年のスタジオは、”NewWind 2021″として、この時代の変革時期に対応していくよう運営してまいります。

これまでとは違った日常があるならば、その中にはこれまでとは違った人生の楽しみ方があるはずです。

今はまだ見えないその楽しみを、皆様と一緒に作っていきたい。

・・・

それを考えると楽しくなりませんか?

もしかしたら、新しい楽しみを自分達で考えること自体が新しい楽しみ方なのかもしれませんね。

今年も、講師・スタッフ8名体制で皆様をお迎えして参ります。

1/4(月)のレッスンからスタートです!!

元気にお会いしましょう!!