こんばんは!
ダンステクノロジー推進委員会のCobAです。
日本中、世界中が自由の尊さを噛みしめ、求めている昨今。
今まで甘ったるい事を言っていた自分を、懐かしく思うような今。
ほんの数ヶ月前までは、人間の歴史の延長線上に立っていたようです。
その数ヶ月後には、”出口”という言葉に喜び、止めていた一歩をもう一度踏み出そうと思いを馳せていたりもします。
または、出口が見つかったにも関わらず、一歩も踏み出したくない衝動に駆られる事だってあります。
何が正解なのか?なんて、誰にも分からない時間を地球上の全ての人類が過ごしています。
でも、実は今までもそうだったのではないでしょうか?
昔あった写真の”焼き増し”は、時間の切り抜きをコピーする技術でした。
あるテーマパークで撮った写真を誰かに焼き増しで渡し、その後その場所に行って同じ場所で写真を撮ったら、全く違う風景が撮れた。
これは、時間が経てば立つ程に現実味が出てくる事でしょうし、最悪テーマパークは無くなっている事だってあるでしょう。
時間というのは、その瞬間が最高値であってそこから先は、急激に価値が減少していくのです。
しかしながら、そのテーマパークで写真を撮ったのが、自分ただ一人だとしたらその写真という物自体の価値は、時間が経つごとに急激に価値の上昇が見られるのだと考えます。
時間は有限で、物は変動するのでしょう。
物というのは、この世界を構成する全てを指していて、酸素などの気体も含みます。
時間が変わると物は変化します。
「いい車を買った。」
としたら、その価値は物ではなく、時間に左右されるという事なのでしょう。
さて、前置きはこのぐらいにして、私が今回の一連の流れの最中で感じたことを、お話しましょう。
「よかったな。」
これが中間結論です。
間違いなく、私の個人的な見解ですが、本当に良かったと実感できる事が多いのです。
もちろん、その中身には嫌な事や辛い事、抱え持つ不安感など、ネガティブに働く思考は同時について回っています。
でも、やっぱり「ダンスをやっていてよかった。」「あの時思い切ってよかった。」「こんな人に出会えてよかった。」など、よかった事が頭に流れてくるのが心地いいんです。
今、人生の幕を降ろしても「よかった。」と思える人生でありたい。
ですが、まだまだそんな幸せは手に入れていないようです。
「よかった。」の後にやってくる問いは、「自分だけか?」です。
その問いについての答えは、いつも「NO」です。
今回、衝撃的に思った事の中でも一つ挙げるとしたら、「大きなステージを完備した庭付きの家が欲しい。」です。
10年前に書き出した100個の夢リスト。
その中の50%以上が、今叶っています。
叶だろう夢を含めたら、70%程度の予想値です。
ですが、直近の夢リストになると、20%にも満たなくなります。
それが成長なのだと胸を張れる反面、夢に対しての推進力が鈍化しているようにも感じるのです。
当然、難易度?というのか、その夢が持つ到達点が過去に比べて雲の上になっているのは言うまでもないですが、”質”としてみた時に遥かに「他人の事」が夢の中に混在している率が高いのです。
それは、自分だけの努力でどうにかなる範囲ではなく、誰かを巻き込みながら、誰かの幸せとクロスオーバーしながらでないと達成し得ない内容になってきているのです。
先に挙げた「大きなステージのある家」は500坪程の敷地の中に、200席の観覧席と、20mの間口を要した屋外ライブ会場の事です。
50台程の駐車スペースは、周りの畑などを借りる計画で、居住スペースには控室にもなるゲストリビングを用意しています。
概算では億を越える費用が必要ですが、いつでもイベントができる自由度に越した事はありません。
ホームパーティーレベルで、ある程度のイベントが可能な自宅です。
10年前にこのビジョンを夢に描き、今こそ必要な時に用意できなかった事。
周りの状況の中で、電源スイッチをOFFにするしかなかったマシンのように、誰かの夢や笑顔を乗せるステージを用意できなかった事。
それに気づいた5月の頭に、自分のちっぽけさに堕落したりもしました。
だからこそ、夢に対する推進力を強く持とうと。
誰かが喜ぶ夢を語ろうと。
もう一度決意できた自分に拍手を送るように、また一歩ずつ前に進もうと。
こんなにも、彼らの笑顔に助けられるとは思ってもいなかった。
ただ一枚の紙切れ、”開業届”がこんなにも自分を高め、苦悩させ、ポジティブにさせてくれるなんて思ってもみなかった。
ハッキリ言ってその時は、見栄や自信だけで飛び出した割合の方が大きかったと今では思います。
間違いなく、仕事は施しに比例し、施しは悩み事の中にあります。
悩みの根本解決が結果だとしたら、まだまだ私が皆さんにさせて頂ける事は計り知れないのかも知れない。
対処的な施しならいくらでもできます。
ダンスで言えば、”上手くさせる。”や、”プロにさせる。”と言った事でしょう。
でも、本質的な意味での”幸せ”には、まだまだ私自身遠く、誰かを幸せにする事でしか到達できない場所にあるんだと感じます。
幸せは、人との距離(間)の中に存在すると信じています。
ハグされれば嬉しいし、落ち込んだ時肩を叩いてもらうだけでも助かる。
手を繋いでもらったらスキップして、恐怖を感じたらすり寄れる。
そんな時に幸せはやってくるんだと信じています。
まだまだ未熟な私たち人間は、人間である以上誰かを求め、求められる存在でありたいと願います。
目線だけでもいい。
誰かと繋がれるステージさえあれば、ほんのちっちゃな幸せを生み出せる存在。
それが、ダンサーであると再認識させてもらったこの頃です。
私たちダンサーは社会に必要な存在である事をここに宣言し、未来をまた作っていきます。